本能寺の変( Wikipedia より)。
《本記事のポイント》
- 「本能寺の変=怨恨」ではなかった!?
- あまり知られていない光秀の「善政」
- あえて「悪役」を買って出た!?
2020年の大河ドラマは、明智光秀を主人公とした戦国武将の群像を描く「麒麟がくる」に決まった。主演は長谷川博己さん、脚本は池端俊策さんが務める。
内容は、光秀への従来のマイナスイメージを覆し、ポジティブな面に光を当てたものになるとされている。
「本能寺の変=怨恨」ではなかった!?
大河ドラマの見せ場になる「本能寺の変」(1582年)は、実は、歴史上の最大の謎の一つと言われている。
本能寺の変が起きた理由として、とりわけ広く流布しているのは、光秀が主君の織田信長から長年にわたって冷遇されてきた恨みを晴らすために、信長を暗殺したという「怨恨説」である。恨みを持つ光秀の姿を描いたドラマなどが多くつくられたために、「悪者」というイメージが定着している。
ただ、本能寺の変については、様々な説がある。例えば、光秀が信長を討った理由について「信長が四国攻めを行ったためだ」とする「四国説」だ。
これは、土佐(高知県)を根拠地とした長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)と、信長との同盟関係が決裂した局面に原因を求めるもの。
信長は、石山本願寺(大阪府)との戦いを有利にするために、長宗我部とのパイプを持っていた光秀を仲介として、長宗我部と和睦した。だが、石山本願寺が降伏すると、信長は長宗我部の所領を削減すると一方的に命令したため、長宗我部側が反発。これにより、仲介していた光秀の立場がなくなり、光秀は四国出兵の当日に、信長を襲ったという仮説だ。
「怨恨説」はこうした説の一つにすぎず、「光秀=悪者」は短絡的すぎるという意見がある。
あまり知られていない光秀の「善政」
では、光秀個人の能力はどうか。実際は、有能な武将だったことが分かっている。
統治が難しいと言われた京都府の亀岡を拠点とした光秀は、地元の事情に詳しい国人衆を家臣として採用し、行政効率を高めた。また、家臣内では実力主義で人材を抜擢するとともに、暴れ川であった由良川の治水工事を主導。さらに、本能寺の変の後には、京に住む民に課せられた税金を免除した。
このような「善政」を敷いた光秀は、地元から敬慕され、現在も光秀の霊を追悼する祭りが開催されている。
あえて「悪役」を買って出た!?
さらに、幸福の科学グループの大川隆法総裁の霊言によると、「光秀=悪者」という見方が偏っている可能性もある。
外交評論家の岡崎久彦氏の霊言が行われた際、岡崎氏の霊は、自らが明智光秀の生まれ変わりであると述べた。そして、本能寺の変については、「(比叡山焼き討ちなどをした信長が)天下の覇王になれば、日本が野蛮国になるのでないか」「自分が天下を取ろうと思ったわけではなく、(徳のある)秀吉の時代のほうがいいのではないか」などと発言。自らが悪役となり、時代を変える役割を演じた"戦略家"だったことを明かした。
中国の古典に精通し、教養が深かった光秀は、私情からではなく、信長がどのような日本をつくるのかを熟慮して、暗殺を決意したのかもしれない。確かに、従来の「謀反者=悪」という構図に囚われると、歴史の「真実」を見誤る可能性もある。
今回の大河ドラマでは、どのような光秀が描かれるのか楽しみだ。
※2014年6月24日付本欄を修正・再掲
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幸福の科学出版 『日本外交の盲点』 大川隆法著
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