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《本記事のポイント》
- 放送法4条撤廃による「民主主義への悪影響」を懸念する放送関係者たち
- 民主主義を研究したトクヴィルは「報道の多様化」を重要視した
- 報道の多様化が、GHQ時代以降の偏向報道を崩すかもしれない
政府は、放送法第4条の撤廃を含んだ、放送業界の改革を検討している。
今回の規制撤廃では、民放などへの法規制をインターネットなどの通信事業と同じくすることで、放送業への新規参入を促すことができるとされている。
放送法4条は、放送の編集方針として、「政治的公平性」や、「真実に基づいた報道」などを定めているものだ。
民主主義への影響や偏向報道を懸念するメディア関係者たち
この撤廃案に対し、多くのメディア関係者から、放送者が"乱立"することによる民主主義への悪影響を懸念する声が上がっている。
日本民放連の井上弘会長は「放送は、民主的な社会に必要な情報を全国にあまねく伝えている自負があり、健全な世論形成に貢献してきた。単なる産業論で放送業を切り分けてほしくない」(15日の記者会見)と話す。
元NHKプロデューサーで武蔵大学の永田浩三教授は「放送法は国民の表現の自由を最大限生かしながら健全な民主主義の発達を支えるもので、日本の歴史の流れを無視して4条だけをいじるのは全体を見ない議論」(26日ロイター通信)と語った。
報道の多様化は、民主主義社会に「必要」
しかし、アメリカの民主主義研究では欠かせないと言われる19世紀の政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィルは、『アメリカの民主政治』において、メディアの"乱立"に賛成しているのだ。
トクヴィルは、例えば次のように、当時のフランスとアメリカの報道の権力の違いを比較し、フランスを批判している。
「報道の効果を無効にする唯一の手段が、その数を多くすることであることは、アメリカ連邦での政治学の公理である。(中略)
けれども、(フランスにおいては)規定秩序の官公的加担者たちと現行法律の自然的支持者たちとは、報道を(少数のメディアで)中央集権化することによって、報道の(権力の)作用を緩和できると信じている。けれども、これはわたくしにはとても同意できないのである。(中略)
出版が放縦(何の規律もなくそれぞれが勝手にしたいことをすること)するということの政治的諸効果が公共的平安の維持に間接的に貢献していることは、隠しおおされることではない」
「フランスでは、プレスの力はほぼすべてが同じ場所に集められ、限られた人に用いられている。なぜなら、プレスの数が少ないからである。(中略)
アメリカには、(報道の)集中化が存在しない。国の知性も権力も分散し、各方面で互いに交錯する。(中略)アメリカで出版される刊行物は、にわかに信じがたいほどである。(中略)独自の新聞がない村はまずない。」
まさに、ここで語られているフランスにおける報道の「中央集権」は、今の日本の放送業界がNHKと民放の独占状態であるのと似ている。
民主主義の守護神ともいえるトクヴィルは、民主政治を「多数派(の世論)による専制政治」だと評し、その多数派世論を構築するのは新聞、つまり、メディアではないかと考えていた。そして、メディアに独裁権力が発生するのを防ぐために、「メディアの多様化」をすることが、「明白な真理である」としているのだ。
昨今、メディアのフェイクニュースが問題になっているが、「放送各局の政治的中立など、もとから無い」と感じている国民も多いだろう。
TBSの武田信二社長は23日の記者会見で、「戦後60数年続いてきた日本の放送、NHK と民放の二元体制という形を否定するものであるなら、あるいは民放を解体するのだということであるならば、当然反対だ」と述べた。
しかし、戦後60年間あまり、日本の放送局は、放送法と共にGHQが定めた「日本国憲法の批判の禁止」や「戦前の日本の宣伝の禁止」などの「偏った」報道規制を、忠実に守ってきただけではないか。
今回の、規制撤廃による通信の新規参入で、放送局の報道の横並び体質、独占状況の打破が期待できるのではないか。
(HSU未来創造学部 中川めぐみ)
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