《本記事のポイント》
- 映画「空海」で描かれた「中国から密教を"持ち去った"」謎
- 湯川秀樹「アリストテレス、レオナルド・ダ・ヴィンチより万能」
- ヘーゲルに比肩される思想家
日中合作映画「空海―KU-KAI―美しき王妃の謎」の公開に伴い、弘法大師・空海にスポットライトが当たっている。
映画の宣伝も兼ねてだろうが、テレビ番組や各メディアでも、空海に関するものが数多く放送されている。
中国から密教を"持ち去った"
映画では、空海が唐の長安を訪ね、密教の後継者となった"秘密"が描かれている。
当時の唐において、中国仏教は最盛期を迎えていた。空海が訪ねた恵果和尚は、密教の正当な継承者であり、玄宗をはじめとする三代の皇帝にも頼りにされた、長安で最も有名な僧だ。
空海は恵果を訪れ、密教の全てを伝授された。そして、1000人の弟子をごぼう抜きにし、正統な継承者に指名された。唐の人々からすれば、"後進国"の若い留学生に文化の中心部分を丸ごと"持ち去られた"ようなものだ。
映画におけるその経緯の描かれ方はエンターテイメント化されすぎているきらいがある。空海の思想の深遠さを知る人は納得がいかないかもしれない。「仏教映画だと思って見るとがっかりする」という声もある。
とはいえ、空海が世界史に残る"離れ業"をやってのけたことは紛れもない史実だ。今回の映画は、日本人がその天才性を再確認する機会にはなるかもしれない。
天才・湯川秀樹が「超人」と評価
日本人初のノーベル賞受賞者であり、この国の「代表的天才」である湯川秀樹博士は、空海をこう評している。
「世界的スケールで見ても、アリストテレスとか、レオナルド・ダ・ヴィンチとかいうような人よりも、むしろ幅が広い。宗教、文芸、美術、学問、技術、社会事業の各方面にわたる活動を通観すると、超人的というほかない」
空海はこの言葉の通り、万能の天才だった。
空海が、嵯峨天皇、橘逸勢と並び「三筆」と呼ばれた書の達人だったことは有名だ。入唐した際も、天皇の国書を持っていなかったため、入国が認められないというトラブルに見舞われた。そこでも空海は、見事な内容と筆で嘆願書を作成した。すると「これほどの文章をつくれる人物が、怪しい人物であるはずがない」と入国が認められたのだ。他にも、平仮名の「ん」を発明するなど、文芸の第一人者でもあった。
また美術の面でも、曼荼羅の絵を自分で描くことができ、仏像も自分で彫れたという説もある。さらに讃岐の満濃池の修復を監督するなど、一流の技術を持っていたことがうかがえる。
ヘーゲルに比肩される思想家
とはいえ、やはり空海のすごいところは、その思想だ。湯川博士はこう述べている。
「もうひとつ特筆すべきは、おそらく空海は独自の思想体系を構築した最初の日本人だったろうことである。当時の日本と中国の間の思想・文化の落差が、非常に大きかったことを考え合わせると、これまた奇蹟的である」
著名な哲学者である梅原猛氏も、空海とヘーゲルの思想展開が似ていることを次のように指摘している。
「私もカント、ヒィフテ、ヘーゲルなんていうのを、学生時代に難解な辞書を読んだわけですね。そういうのを読んで、日本の思想の研究などに入ったんですけど、ヘーゲルを読んだ人間として、『十住心論』を読んだ時に、『これヘーゲルじゃないか』と(思った)」(1998年6月14日のNHK教育テレビ「こころの時代」より)
実際に、ヘーゲルの『精神現象学』といった思想と、空海の思想を比較する研究などもある。空海が活躍したのは、ヘーゲルの時代から十世紀も前のことだ。
本誌2012年8月号記事においても、評論家の黄文雄氏はこう評している。
「空海が『十住心論』の中で、原始的な煩悩の心、儒教的な道徳心、老荘思想と段階を踏んで、その上に小乗仏教、大乗仏教の宗派の心を置いて、いちばん上に自分の真言密教の境地を位置づけた。これはヘーゲル哲学を上回ると私は思うんです」
また、作家の司馬遼太郎も、著作『空海の風景』で、その思想の普遍性についてこう評している。
「空海はすでに、人間とか人類というものに共通する原理を知った。空海が会得した原理には、王も民もなく、さらにはかれは長安で人類というものは多くの民族にわかれているということを目で見て知ったが、仏教もしくは大日如来の密教はそれをも超越したもの(中略)日本の歴史上の人物としての空海の印象の特異さは、このあたりにあるかもしれない。言いかえれば、空海だけが日本の歴史のなかで民族社会的な存在でなく、人類的な存在だったということがいえるのではないか」
ヘーゲルやカントといった一流の思想家が、ドイツという国の地位を押し上げている面は大きい。空海という天才を生んだ日本も、もっと空海の天才性を誇り、世界に打ち出していく必要があるのではないか。
(馬場光太郎)
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