いよいよ「第2回水戸黄門漫遊マラソン」当日を迎えた。台風22号の接近もあり、開催が危ぶまれたが、主催者側の英断により決行された。幸い、風は強くなかったが、雨が降り続く中での初マラソンとなった。
朝4時に起床。餅を4個食べ、大会用に特別に運行された特急列車に乗って水戸へ向かった。水戸駅に着くと、雨の中にもかかわらず、ボランティアの方々が温かく迎えてくれた。
体育館で着替え、雨対策のためポンチョを着用し、帽子をかぶった。腰回りにはエネルギージェルを3つ仕込んだ。10キロごとに補給する予定だ。
スタート地点には号砲45分前に並び、Aブロック(最前列)の前から3列目ぐらいの好位置に陣取った。雨は降り続き、シューズが濡れていく。
この日、この時のために、誰に言われるでもなく、黙々と走り続けたことを思い出した。いい歳をした中年のおっさんが、23時に月明かりに照らされた河川敷のグランドでインターバルトレーニングを行い、腕時計を見ながらハアハア、ゼエゼエとしている姿も、この時のためにあったのだ。思わず胸に手を当てた。予定通り9時にスタート。
レース序盤~中盤――ややオーバーペースに
入りの1キロは3分27秒。
興奮していたのか、早い、早すぎる。少し先に先導車が見えるではないか。
「いかん、いかん、まだ、41kmもあるんだぞ」と自戒し、スピードを落とすも、5キロを18分37秒(1キロあたり3分43秒ペース)で通過。当初は「1キロあたり4分のペースで折り返し地点までいって、あとはひたすら粘る」という作戦だったので、5キロの通過は20分に設定していた。予定よりも1分半ほど早いペースだ。しかし、呼吸はそんなに苦しくない。「身体と会話しながら、いいイメージで行けるところまで行こう」と方針を変更した。
10キロ通過は、37分36秒(1キロあたり3分46秒)。
まだまだ足は動いている。息も大丈夫。
15キロは56分54秒(1キロあたり3分48秒)で通過。
18キロ付近から、ふくらはぎに少し異変(痛み)を感じ始めた。
「半分も過ぎてないのに、これはまずい」と思っていると、予想通りだんだんと痛みが増してきた。
中間点(ハーフ)を通過。1時間21分37秒(1キロあたり3分53秒)!
2月の神奈川マラソン(ハーフ)で出した自己ベストより3分半、1年前の多摩川と比べれば、12分半も早いタイムだ。
中間点通過後から本格的に脚の筋肉が痛み出し、ペースも大幅ダウン。25キロ付近で、女性で1位のランナーに抜かれ、28キロ付近で、女性で2位のランナーにも抜かれていく。ついていこうとするが、脚が痛くてどうしようもない。自分との戦いだ。
30キロ地点は、1時間59分37秒(1キロあたり3分59秒)で通過。
かろうじて、1キロあたり4分以下のペースを保っている。残り12キロ少々を、1キロあたり約5分のペースで走りきればサブスリーは達成できる。が、そこまで果たして脚が持つかどうか。
レース序盤――足の痛みと戦う
33キロ付近になると、カーブで曲がるときにすら脚がもつれてきた。明らかに筋肉が硬直し、悲鳴をあげている。呼吸は全然苦しくない。上半身もまだまだいける。しかし、脚がダメなのだ。着地するたびに拷問のような痛みがはしる。
「あと7キロ」「あと6キロ」と刻んで自分を励ますが、魔境が現れてくる。「こんな痛い思いをして走らなくてもいい」「脚を壊したら元も子もない」「仕事にも差し支える。幹(仕事)と枝葉(趣味)を考えろ」「棄権したらどうだ。お前が3時間切ったところで世界が変わるわけではない」とささやいてくる。
しかし、「この機会を逃したら、もう2度とマラソンに挑戦できるチャンスはないかもしれない。あれだけの努力をすることもないかもしれない。あと30分、25分だ」と心の中で打ち返しながら、「前へ。前へ」と脚を出す。
38キロを過ぎると、いよいよ痛すぎて立ち止まる。時間は無常に刻一刻過ぎていく。「走れメロス」のように、親友セリヌンティウスが待っているわけではない。雨が降りしきる中、自分は何のために走っているのか分からなくなってくる。
残り3キロ。腕時計を見ると2時間42分。残りを1キロ6分ペースでいくとちょうど3時間。ここ3キロは、脚が痛くて2回止まっても、1キロあたり6分は超えておらず、5分程度で走れている。
まだ、いける!
静かなフィニッシュ
再度自分を叱咤し、アゴを引き、腕を振る。追い抜いていかれるランナーから、「頑張れ!」と声援をいただき背中を押される。有り難すぎて涙が出そうになるが、返答する余裕もない(どなたか存じませんが、本当に感謝です)。
ふくらはぎの筋肉が断続的にけいれんを始め、時折、プチッと筋繊維が切れるような感覚も伝わってくる。
あと1キロ。もうどれだけの人に抜かれたのだろう。激坂が前に立ちふさがる。最後に急勾配の坂があることは事前に分かっていた。しかし、こんな状況になるとは思わなかった。
もはや歩く以外に道はない。初マラソンで、初の雨のレースで、初の途中歩き。初のけいれん。なんでも初づくしである。
激坂を登り(歩き)きって、最後の700メートルぐらいを懸命に、できるだけ筋肉を使わないように脚を出す。立ち止まる。また走り出す。ゴールが見えた。デジタル時計は2時間58分を刻んでいる。カッコよくゴールを飾ることもなく、そのまま突っ切った。
2時間58分42秒。
サブスリーは達成した。
続々とゴールするランナーたちも、疲労と喜びが入り混じった表情を浮かべていた。
かような形で、初マラソンで初サブスリーを達成したが、過去2回のレースの反省がまったく生かされておらず、またもやオーバーペースになってしまった。
ここまで脚が負傷したのは、「30キロの壁」のひとつであるショック疲労の蓄積が原因なのだが、それが30キロではなく、20キロ手前から始まったのは、前半のペースが速すぎて、脚への衝撃が強すぎたことにあると思われる。
ランニングフォームの改善も必要だ。しかし、35キロ以降の魔境を精神的に乗り越えたことは大きな経験となった。
何歳からでも新しいことに挑戦できる
マラソンで負傷した部位は、左右の外側腓腹筋、いわゆるハムストリングで、赤くはれている。内出血を伴う、中程度の肉離れを起こしていた。
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他にも左右の大腿四頭筋と右足裏も低程度の肉離れを起こしているらしく、圧痛がする。もはや普通に歩けない。二足歩行ロボットASIMOのような足取りである。
そうとう無理したマラソンになった。1週間経っても痛みが残っている。やはり、「サブスリー達成には、月間走行距離300キロ以上必要」という定説は間違っていなかったのかもしれない。まだまだ、強い脚が出来ていないことが証明された。
だが、10代のころの自分が今の自分を見たら何と言うか、「おっさん、ようやるなあ。でも、すげーよな」と認めてくれると思うし、当時の自分を追い抜けたことは間違いない。
マラソンへの挑戦を通じて、持久力やスピードを鍛え直すことが出来たが、精神年齢も若返った。やはり、年をとっても「縁起の理法」(原因あれば結果あり)は生きていて、体や能力は何歳からでもつくり直せる、という自信をもった。
「今日の自分は昨日の自分ではない」とまでは言いきれないかもしれないが、少なくとも「今年の自分は明らかに昨年の自分とは違う」と断言できる。
何歳からでも、何かに挑戦することは、遅くない。
うまずたゆまず努力していけば、必ず人は変化し、成長する。
そう、心から実感した。
最後に、マラソン挑戦に向けた追い込み時期などに、子育てや一家団欒の時間を後回しにして練習に打ち込んだ夫のワガママを許し、健康面や食事面で温かく支えてくれた妻がいなければ今回の貴重な経験・体験はなかった。
あらためて感謝を捧げたい。ありがとう。(完)
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2017年11月18日付本欄 (1)青春の心と体を取り戻せ!
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2017年11月25日付本欄 (2)ハーフマラソンに初挑戦
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2017年12月2日付本欄 (3)マラソンランナーへの体づくりと食生活
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2017年12月9日付本欄 (4)持久力とスピードをつける練習法