「17年間、一生懸命やってきて、一瞬ですべてを失った」
幕内貴ノ岩関への暴行騒動の責任を取り引退を表明した横綱日馬富士関は、周囲にこう語ったそうです(30日付読売新聞オンライン)。
騒動の発端に関して様々に報道されています。貴ノ岩関が、白鵬から生活態度を注意されている最中、スマートフォンを操作し、それを日馬富士に咎められたにも関わらず、反抗的な態度を見せた――という説が有力です。
貴ノ岩の無礼が大きな発端であったことは確かなようです。しかし、日馬富士は結果として、一線を越えてしまい、一瞬にして「横綱まで上り詰めた」という栄光を、無に帰してしまいました。
これは、全くの他人事とも言えません。いくら相手に非があったとしても、指導すべきものがあったとしても、そこで怒りを爆発させてしまえば、人望を失ったり、信頼関係を破壊してしまい、社会的地位や仕事を失うことになりかねません。
こうした、相手の態度に「キレそう」になった瞬間、どのように気持ちをコントロールし、最悪の展開になることを防げばいいのでしょうか。本欄では、そのヒントとなる言葉を、大川隆法・幸福の科学総裁の著作から、ご紹介いたします。
(1) まずは深呼吸をする
色々と考える前に、最も手っ取り早く、簡単な方法はこれです。
「なにかひどい言葉が出そうになったら、まず深呼吸をするのです。一呼吸をおくのです。まず言葉を出す前に、『ちょっと待て』と思って空気を吸い込んでみる。そして吐いてみる。そしてまだその言葉が出るようなら、出してもいいでしょう。(中略)一呼吸したうえで、なおその言葉が出るならば、まあそれは仕方がないことです」( 『幸福のつかみ方』 所収)
(2) 一瞬で、相手と第三者の立場に立つ
さらに、深呼吸する中で、次のようなことに思いを馳せると、大きく違ってきます。
「私はこの十年ほど怒ったことがありません。なぜか--それは、そうした怒りというものがこみ上げてくる前に、瞬時の間に、相手の立場と自分の立場と、さらにまた第三者の立場から、そのすべてを考えるということを努力してきたからであります。これは一瞬のうちになされる業でなくてはならないのです」( 『悟りの原理』 所収)
相手に腹を立てるのは、自分が大事にしている価値観を否定されたり、自分と違う考え方を提示された際です。「相手が間違っているのに、それを認めていない」と思うと、余計に腹が立ちます。
その前に、相手がそうした言動を取る背景となっている、現在の状況、生まれや経験、気持ちなどを、一つでも二つでも思いつくことができれば、怒りの衝動はいくらか引いていきます。もちろん、自分の方にも非があることに、気付くこともあります。
また、自分と相手だけの関係で考えると、「分かっていない」「貶められた」と感じるかもしれません。しかし、意外と周りは、あなたの立場を理解しているかもしれません。自分の考えが間違っていないと思うなら、激しく反発して分からせようとするよりも、ある程度周りに評価をゆだねるという方法もあるのではないでしょうか。
逆に、あまり感情的になってしまうと、周りは"せっかく"自分に一理あると思っていても、「やりすぎだな」「人物ができてないな」と感じ、自分がしなくていい損をするかもしれません。逆にここで我慢すれば、「人物ができている」と評価されるかもしれません。そうしたことを意識すると、怒りの衝動はいくらか引いていきます。
どれだけ怒るに値するかを"三角測定"することで、不快な怒り感情が、少なくとも半減はするのではないでしょうか。
(3) 幸福な人は人の悪口や批判をあまり言わない
相手があからさまに失礼で、攻撃的であることもあります。そうした場合、相手への不満がどんどん溜まっていき、何かのタイミングで爆発してしまうこともあるかもしれません。
その時は、次のことを念頭に置いてみてはどうでしょうか。
「『人のことを悪く言わなければならない』という気持ちは、やはり、その人が幸福ではないことを意味しています。幸福な人は人の悪口や批判をあまり言わないものです。(中略)『自分は認められていない』という気持ちを持っています」( 『勇気の法』 所収)
一番、苦しんでいるのは、相手かもしれないのです。当たりの強い言動を「これが自然体だ」と言っている人でも、実際に、心落ち着いている時は、言動も穏やかになっているものです。
また、本当に周りが見えなくなっている人も、後で必ず、周りから反発され、惨めな気持ちを味わうことになります。いや、相手は今まで、そんな体験を、何度となくしてきたのかもしれません……。
そう思うと、相手と"同じ土俵"に立ってやり返す気持ちが薄まり、怒りの衝動は引いていきます。
(4) 「怒る」と「叱る」は違う
もちろん、それでも「言わなければいけないことがある」と思うことはあるでしょう。自分に正当性があると思っているからこそ、怒りは湧いてくるわけです。しかしその場合、以下の観点に注意してみてはいかがでしょうか。
「自己保存の怒りがこみ上げてくるようなことがあったら、いったん踏みとどまっていただきたい。
(中略)しかし、みなさんは疑問をお持ちでしょう。『世の中は理不尽なことで満ち満ちている。間違ったことが横行しつづけている。また、人から誤解を受ける場合もあるではないか。そのように誤解されたままでは、甚大な被害が出る』と思うこともあるでしょう。
確かに、それも一理あることだと私は思います。怒りにも私憤と公憤とがあり、私がここで避けるべきだと言っているのは私憤のほうだからです。(中略)『怒る』のではなく『叱る』のだと区別することです」( 『人生の王道を語る』 所収)
もちろん、怒っている自分は「相手のため、全体のために"叱って"いる」と思っているでしょう。しかし、「怒る」と「叱る」を分けるものは、一つには「冷静さ」だと言われています。
なので、本当に「これは指摘すべき」と思ったなら、いったん冷静になってからの方が良さそうです。それも、(1)~(3)の観点を踏まえた上であれば、相手にも響きやすいかもしれません。
よくよく考えれば、心がいらだっている時には、決して「自分は幸せだ」とは言えません。他ならぬ自分自身が不幸な状態にあるのです。悔しい話です。ここは、「相手に、自分を不幸にする権利などない」と思い、感情をコントロールする術を身につけたいものです。
(馬場光太郎)
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