米最高裁は1年前、いかなる企業や団体であっても、合衆国憲法第1条に基づき、献金や宣伝などを通した政治的な言論の自由を保障されるという画期的な判決を下した。21日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルでは、この裁判に加わったブルックリン法科大学院教授のジョエル・ゴラ氏が、この判決の民主主義国における意義について改めて判決に基づいて論じている。端的に言えば、政治的な議論の質や内容を決めるのは、政府ではなく国民であり、言論の自由は個人やその集合である団体に関わらず保障されるのだというのが要旨である。

自由を至上の価値とする民主主義の精神を表した判決とも言える。献金自由化は汚職を呼ぶという批判もあろうが、評論家の渡部昇一氏も述べているとおり、いいことを言っているところにお金が集まるのは自然なこととも言える。汚職などは献金の副産物であって本質ではないのだから、手を講じて制限するべきは汚職であって献金ではないのだ。汚職撲滅のために献金を制限するのは、資本主義は貧乏を生むから止めましょうといったり、宗教は争いの種だからなくしましょうというのと同種のロジックである。自由を最大限確保し、法律は公正な競争のための一定のルールを整備するためにあるというのはハイエク的な考え方だが、日本においても学ぶべきものは多いのではないだろうか。

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