焦土と化した東京。手前の丸い屋根の建物は両国国技館(Wikipediaより)。

《本記事のポイント》

  • 東京大空襲はアメリカによる戦略的な虐殺行為だった
  • 虐殺を正当化するため、GHQは検閲やメディアを使って日本人を洗脳
  • 自虐史観の呪縛から解き放たれてこそ、犠牲者への弔いとなる

飯田たけし

筆者プロフィール

(いいだ・たけし)1959年、東京都品川区生まれ。東京都立大学経済学部卒。有限会社飯田商会・代表取締役。沖縄浦添市fm21「へんまもレイディオ」、ネット番組「名もなきサムライたち」などにおいて、コメンテーターとして出演。著作に『海軍特別救助隊』(元就出版社)など。

広島、長崎、そして沖縄と並ぶ犠牲者を出した東京大空襲から、74年が経ちます。

1945年(昭和20年)3月10日の未明、約300機のB29爆撃機が、無差別爆撃を決行しました。現在の江東区や墨田区など木造建築が連なった下町を中心に、33万発もの焼夷弾を投下。一夜にして東京の街は火の海と化し、10万人もの一般市民が亡くなりました。被害家屋は約27万戸、焼き出されるなどした人は推計で100万人に上ります。

犠牲者を慰霊している「東京都慰霊堂」(墨田区)を参拝したことがありますが、言葉に尽くせない思いでした。

虐殺を目的とした空襲

東京大空襲は、アメリカによる明白な虐殺行為でした。

当初アメリカは、日本の軍施設や軍需工場に対象を限定した、高高度からの精密爆撃を行っていました。しかし、成果が上がらず、指揮官は更迭。後を継いだカーチス・E・ルメイ将軍が、大量の焼夷弾で都市を焼き払う戦術に切り替えたのです。欧米と違い、当時の日本ではほとんどの建造物が木造だったため、焼夷弾攻撃は致命的なほどに有効です。つまり、計画段階において、都市のせん滅とそこに住む一般市民の虐殺を目的としていたのです。

しかし、非戦闘員である一般市民を殺すことは、戦争犯罪です。

もしも兵士が、無抵抗の市民をピストルで射殺すれば、当然、戦争犯罪です。武器を持たない丸腰の市民を、小銃や機関銃で射殺しても戦争犯罪になります。

さらに、一般市民しかいないことがわかっている家屋や集落を、大砲で砲撃して殺したとしても、戦争犯罪です。逃げる子供たちを戦車や戦闘機で銃撃しても同じです。では、焼夷弾の爆撃で市民を大量虐殺すればどうでしょうか。これも当然のこととして、戦争犯罪にあたります。

前提にあった有色人種への差別

また、東京大空襲は、一般市民を対象とした「無差別爆撃」ですが、これも、国際法に違反する戦争犯罪です。

「無差別爆撃」に近い言葉として、「絨毯(じゅうたん)爆撃」というものがあります。敵国民の士気の喪失を目的とした戦略爆撃で、大編隊を組んだ大型爆撃機が絨毯を敷くように、一帯を爆撃しながら通過するというものです。

しかし、東京大空襲は、単なる絨毯爆撃を超える残虐さでした。

まず、地域一体を外部から焼夷弾で包囲して、住民を火の海で囲い込む。そして、袋小路に追い込まれた住民を狙って焼夷弾を落としたのです。これは、戦場で一部兵士が残虐行為をするといったようなものではありません。国家が行う軍事作戦として、敵国の都市を破壊しつくし、非戦闘員である市民の皆殺しを企てたのです。

特に、大東亜戦争のような国家総力戦では、青壮年の男性は戦闘員として戦場にいます。都市への爆撃で命を奪われるのは、女性やお年寄り、子供たちです。有色人種への差別観が、人を人とも思わない残虐行為の前提にあったのだと思います。

「虐殺」を正当化したアメリカ

「かつての日本は、軍国主義の悪い国であった。アジアを侵略して我が物とするために、侵略戦争を仕掛けて、何千万人ものアジアの人たちを殺害した」

そのように、私たちは教えられてきました。

「無謀な侵略戦争を行ったことによって、日本は悲惨な敗戦を迎えた。そして、その敗北の過程で本土が空襲を受けた。科学技術と物量で全く日本は欧米に歯が立たず、空襲は阻止できなかった。多くの市民が犠牲となったが、これは日本の軍国主義と侵略戦争に対する当然の報いである」

このように受けとめてきた方も多いでしょう。

実は、こうした「自虐史観」は、アメリカが、自国の虐殺行為を正当化するため、日本人に植え付けたものなのです。

アメリカは戦後、あらゆる手段を用いて日本人を「洗脳」してきました。それを大々的におこなったのが、GHQ、連合国総司令部でした。彼らが、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」と呼ばれる洗脳工作によって、日本人を骨抜きにしたのです。

具体的にどのようなことをしたかと言うと、例えば、大戦が終結した1945年(昭和二十年)の12月には、当時不足していた新聞用紙を新聞社に特別配給し、日本軍の残虐性を強調した「太平洋戦史」を連載させました。

また、GHQ民間情報教育局が自ら構成し、「真相はかうだ」というラジオ番組を始めました。これは、ドキュメンタリー形式を装ったドラマ仕立てで、日本軍を指揮した軍国主義者の「悪」を描いたもの。あまりにも内容に問題があったため、全国から苦情が殺到したそうですが、GHQはその後も番組名や内容を変えながら洗脳番組を継続しました。

さらに、新聞社もすべてGHQの手先と成り果てます。先ほど、「太平洋戦史」連載で紙が特配されたと記したように、当時は、新聞や雑誌用の紙自体が手に入りにくい状態。紙の供給を止めると脅されれば、新聞社は手も足も出ません。かくして、GHQによる新聞や雑誌への検閲が徹底されました。戦前にも検閲も言論統制があったではないか、という反論もありましょう。しかし、GHQの検閲は、想像を絶する規模、徹底ぶりのものでした。

例えば、伏せ字にしたり塗りつぶしたりしてあれば、検閲の事実が国民にわかりますし、どんな文章なのかも推察できます。しかし、GHQが行った検閲では全部を書き直させるため、痕跡が残りません。そして検閲をしていること自体を秘匿していたため、国民は自分たちが言論統制されていることすら認識できませんでした。

こうしたアメリカの徹底的な洗脳工作によって、今なお多くの日本人が、「原爆も空襲もされて仕方がない国だったのだ」と思っています。

しかし、今こそ、こうした「呪縛」から解き放たれ、日本人としての誇りを取り戻すべきです。そうしてこそ、東京大空襲で犠牲となった方々への弔いとなるのではないでしょうか。

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