2018年11月号記事

Interview

地域を発展させる「秘策」

北関東

全国で活動する幸福実現党の代表者に、地域発展の提言・取り組みについて聞いた。

宇宙産業で雇用も収入もアップ

群馬

幸福実現党
群馬県本部 統括支部長

森田 貴行

(もりた たかゆき) 1971年、群馬県沼田市生まれ。東邦大学卒業後、会社勤務を経て、幸福の科学に奉職。趣味は読書、釣り。「鶴舞う形の群馬県を宇宙から見る会」会長。

幼いころから宇宙に憧れ、大学も物理学科に進みました。

群馬には、中島飛行機の流れを汲むSUBARUやIHI、明星電気など宇宙・航空関連企業が多い。この強みを生かして関連産業への投資を促し、県内雇用の8割を支える中小企業とともに、雇用や収入を増やしていきたいです。

宇宙産業を盛り上げる一環で、昨年、「鶴舞う形の群馬県を宇宙から見る会」を設立。将来、県境をライトアップし、その姿を見る感動を多くの方々と共有したいです。


減税で中小企業を元気にしたい

茨城

幸福実現党
茨城県本部 統括支部長

川辺 賢一

(かわべ けんいち) 1987年、埼玉県生まれ。早稲田大学卒業後、HS政経塾(2期生)、技術系ベンチャーを経て、現在、教育関連企業の役員。結婚を機に妻の実家の水戸に移住。

実家は学習塾や職業訓練校を営み、親戚の中にも事業経営者が多い環境で育ちました。青年会議所に所属し、多くの中小企業の経営者に話を聞いてきました。今必要なのは、消費税・法人税・所得税の減税で中小企業を元気にし、次々と新しい起業家が現れてくる経済環境を整えることです。

また、技術や知恵を持った中小企業と、つくばに集まる大企業や研究機関の連携を推し進め、茨城を「ものづくり大国・日本」の一大拠点としていきます。


女性目線の減税と教育改革

栃木

幸福実現党
栃木県本部 統括支部長

三觜 明美

(みつはし あけみ) 1961年、熊本県生まれ。関西外語大学短期大学部卒業後、神戸で通関代理業、英語講師などを経て、95年の阪神・淡路大震災後、宇都宮に移住。

2人の子供を育てた母親として、家計を苦しめる消費増税やいじめの放置は許せません。

私たちは2012年、宇都宮で消費増税反対デモを行い、16年には、いじめを放置する学校や教師に罰則を科す「いじめ処罰法」の制定を県議会に要望しました。

行動し続けることで世の中は変わる。いえ、行動しなければ絶対に変わりません。「政治は一部の人に任せておけばいい」という時代は終わりです。生活者の目線で、日本を豊かにしていきます。


市議になって3年半
他では味わえない感動を藤岡で

群馬

幸福実現党
藤岡市議会議員

小西 貴子

(こにし たかこ) 1961年、広島県生まれ。関西の短期大学卒業後、松下電器産業(現・Panasonic)に入社。その後、病院勤務を経て郵便局に7年間勤める。野球少年だった3人の息子も、今では社会人に。

2015年に群馬県藤岡市議会議員を拝命してから、3年半が経ちました。いつもあたたかいご支援をいただき、本当にありがとうございます。

私たち市議に求められるのは、とにかく、市民の幸福の実現! 困りごとに耳を傾け、細やかな環境整備で地域の明るい未来をつくることです。

これらを実現するため、市長に直接質問をする「一般質問」の機会に力を注いでいます。これは、行政の状況や方針、課題などについて、市民の幸福につながるような行政がなされているかを確認する場です。市に具体的な改善を求めたり、こちらから改善策を提案したりすることができます。人が集まるまちにするための「シティブランディング」や、市バスの拡充、婚活による結婚支援や防災強化など、さまざまな問題について多岐に渡って質問をしてきました。

市民や地域のお困りごとに対しても、迅速さをモットーに、すでに100件以上の案件に取り組んできました。ここ最近では、猛暑による熱中症を防ぐため、公共施設に大型扇風機を4台設置していただいたり、集会所のトイレを和式から洋式に変える案件も、2年越しで実現していただいたり。そのほか、道路のカーブミラーや誘導ライン、道路からの落下を防止する柵の設置などなど。また、赤信号が4分も続く"変わらずの信号"だった国道の信号についても、関係機関に赤信号の時間の半減をお願いし、実現に至りました。と言っても、どれもこれも私ではなく、ひとえに実施、実現してくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

地域の強みで「日本一」を目指す

群馬は、「都道府県魅力度ランキング」で41位。さらに藤岡市は、群馬12市のうち11位です。人口減少も加速する中、愛する藤岡の魅力を、もっと広く発信していきたい。そのために大切なのが、地域の強みで「日本一」を目指すということです。例えば、群馬県オリジナル品種のいちご「やよいひめ」は、糖度の高さと酸味の少なさが人気。藤岡でも生産が盛んです。こうした強みを伸ばすと同時に、人のあたたかさや住みやすさという魅力をもっと多くの方に知っていただきたい。藤岡に来てよかったと、心の底から感動してもらえる、「何か」があるまちにしたい。

ご支援くださる皆様の真心にお応えできるよう、まだ見ぬ子供たちのためにも、藤岡の明るい未来を目指して全力でがんばってまいります!


山間部の悩みを
高齢者の生きがいに変える

群馬

幸福実現党
みどり市地区代表

神山 繁

(かみやま しげる) 1952年、群馬県みどり市生まれ。東京ナショナルサービスで3年間勤務後、神山電機を30年間経営。その後、新井木材、佐田建設などに勤務。趣味は、登山、日帰り温泉、読書。

65歳となり、年金をいただく側になりました。しかし今までの人生でも、多くの方に与えられてきた。だから残りの半生は、貰うばかりではなく、「世の中へのお返しの人生」にしたいです。

30年の電機事業経営、20年の消防団活動、林業・製材業、土木業、PTA会長、少年野球代表、体育協力委員、青少年健全推進員、国勢調査委員――。様々な職業や、ボランティアをしてきました。その経験を活かして、生まれ育ったみどり市を住みよい地域に変えていきたい。

免許を返した高齢者の足がない

みどり市の多くは中山間部ですが、深刻な問題は「高齢者の交通手段がない」ことです。

子供も中心部に行ってしまい、自分で運転せざるを得ません。しかし、家族に促されて運転免許を返納すると、とたんに自由がなくなり、病院にも行きにくくなる。昔あった定期バスもなくなりました。市が運営する送迎用のワゴン車もありますが、2~3日前から予約が必要であるなど、何かと不便です。

この問題を解決するには例えば、「ウーバー」などのサービスと協力しながら、「自家用車による乗り合いタクシー」を利用できるようにすることなどが考えられます。

80歳以降など運転できない年齢になれば、車を持っている近所の方にタクシーよりも安い「足」になってもらうのです。

「生涯現役社会」の実現

また、そうしたドライバーを担うのは、まだ運転できる高齢者たち。定年になっても75歳くらいまではドライバーとして活き活き働き、「年金プラスアルファ」の収入を目指します。

以上の例は一つの案ですが、私は「住みやすい街づくり」と「健康長寿・生涯現役社会の実現」を、抱き合わせで行っていきたいです。

高齢者は、人の役に立つ仕事、困りごとを解決する仕事をし続けることで、身体的にも精神的にも健康を維持できます。

高齢化・過疎化し、交通も不便になる。さらには最近、「鳥獣被害」も深刻化しています。過疎化に伴って動物たちが街に進出。猪、鹿の他に、近年は猿も増えています。

そうした中山間部ならではの問題を、私たち高齢者がお互いに解決し合い、生きがいにし、ちょっとした収入源につなげていくのです。


桐生の危機は、桐生の魅力で脱する

群馬

幸福実現党
桐生市地区代表

歌代 公司

(うたしろ こうじ) 1970年、群馬県桐生市生まれ。会計事務所、ドコモ・モバイル株式会社社員を経て、現在、地元自動車部メーカーなどに勤務しつつ、消防団などを通じて地域貢献を行う。防災士、FP技能士1級を取得。

生まれ育った桐生市は、群馬県で最も高齢化が進んでおり、人口も減り続けています。内心諦めている人もいるかもしれません。しかし私は、その衰退を座して見ていられません。

約10年前、地元郷土史の勉強会に参加し、桐生のために身を捧げた名士たちを知りました。江戸時代、ある人は通りを流れる水を使った機織り機を開発し、なんとその技術を街中にシェアしました。地域全体の生産性が上がり、この地は「西の西陣、東の桐生」と言われるほど、繊維産業で潤ったのです。またある人は川が氾濫した際、破産しかけるほどの私財を投じて、被災した方々を助けました。

先人たちが、時には知恵で、時には自己犠牲で、支え続けてきた桐生を守っていきたい。そんな思いから、防災士として防災セミナーを開催し、消防団、八木節、祇園太鼓の運営に参加するなど、ささやかながら地域貢献を心がけてきました。

これから、さらに市の発展のための提言をしていきたいと考えています。

交通弱者を救うには?

地域の皆様からよく「歳をとって運転できなくなり交通の足を失う」という不安を聞きます。いわゆる過疎地の交通弱者の問題です。

それに対して市は、居住地やお店、病院などを中心地に集める「コンパクトシティ計画」を掲げています。しかし全国での同様の計画は、「愛着ある郷土を捨てたくない」という人も多いことなどから、あまり成功していません。桐生でも「中途半端な開発で終わり、各地域の祭りなどの文化が消え、税金だけ高くなった」という事態は望ましくありません。

交通弱者問題の解決策としては、自家用車の相乗りを可能にする「インターネット配信システム」の整備を進めます。これで、市民ドライバーと同乗者をマッチングすると同時に、観光客のタクシー予約も可能にします。タクシー利用者も増えるでしょう。

地域の魅力で繁栄を

桐生は、東京・浅草から1時間40分で来られ、豊かな自然やノスタルジー溢れる町並みに触れられる観光地として定評があります。地域振興においても、街を「改造」するより、桐生の強みを生かして、増えつつある「地方移住者」や「ITワーカー」などを呼び込むべきです。


人の人生を変え、街を変える教育

茨城

幸福実現党
古河市地区代表

古川 一美

(ふるかわ かずみ) 1962年、大阪府大阪市生まれ。同志社女子大学卒業後、結婚を機に、古河市に転入。教員や子供のPTA活動として、教育に携わる。夫と娘3人の5人家族。趣味は、読書と旅行。

私は2年間、旅行代理店で勤務後、学生時代からの夢だったイギリスに留学しました。またバックパッカーとして10カ月、ヨーロッパや中東諸国を遊学。「相手を理解しようと努力すれば、人種や宗教の違いがあっても人として通じあえる」と実感し、とても有意義な体験でした。

帰国後は英語塾で働き、結婚を機に古河市に転入。非常勤講師として働いた公立中学校が非常に荒れていて、衝撃を受けました。しかしその後、通信制高校で講師として勤務していた時、前の中学校で荒れていた生徒が「もう一度学び直したい」と入学した姿を見て、「人は変われる」と強く思いました。

また、PTA役員やスポーツ少年団の保護者代表を経験し、保護者の悩み相談にものりました。親の介護も行い、古河と大阪を往復する生活が1年間続きました。介護では、家族の協力や行政サービスのあり方、晩年の生き方・心掛けの大切さなど、多くを学びました。

三女が来春、大学を卒業します。古河に来て25年、多くの方にお世話になりました。子育てや教員、PTA活動の経験から、教育の大切さを痛感しています。地域発展の元手は「人づくり」です。先人たちは戦後、勤勉や努力、誠実さで、日本を豊かな国に発展させてくれました。私も、人と街づくりで、地域のために貢献したいです。

文化的で豊かな街づくり

まず道徳教育を充実させ、子供たちに豊かな心と感謝の気持ちを育てたい。多様な個性を認め合い、いじめのない学校をつくります。海外との異文化交流も推進し、国際社会に通用する人材を育てます。また経済が停滞している今だからこそ、努力で道を拓いた偉人伝を学ぶことも広めたいです。

ハード面では、文化施設を充実させたい。古河市には文化会館や充実した図書館がなく、近隣の施設を借りている状態です。誰もが新しいことを学び、成果を披露する場が必要です。文化施設の充実は災害対策にもなります。

また、生きがいのある高齢化社会も目指します。元気なお年寄りが社会貢献できる場をつくり、相互の助け合いのネットワークを構築したいと考えています。

未来を創るのは、私たち一人ひとりです。あらゆる世代が「ずっと古河に住みたい」と思えるような街づくりをしてまいります。


花いっぱいの鹿嶋で
経済的・精神的な豊かさを実現

茨城

幸福実現党
鹿嶋市地区代表

飯塚 芳惠

(いいつか よしえ) 1951年、長崎県生まれ。長崎県立小浜高校を卒業後、上京し、家電販売店に勤務。結婚後の74年、鹿嶋市に転入。鹿島神宮のともえ会会員。奉仕団体の責任者などを務める。趣味は、園芸。

2002年サッカーW杯の会場にもなった鹿嶋市では、国内外から訪れる方々をお迎えする「花いっぱい運動」を行いました。

私は元々花が好きで、W杯以前から「市民の皆さんと協力して、鹿嶋にたくさんの花を植えましょう」と市に働きかけてきました。どんな花を、どこに植えるべきか、など市の担当者とご相談させていただいたこともあります。今も運動が続いていることをうれしく思います。

「生涯現役人生」で幸福感を持てる

ただこの運動も、現在は、幹線道路沿いなどで雑草が伸びてしまっているところもあり、地域によって力の入れ具合はまちまちです。カシマスタジアムは2020年の東京五輪会場としても使われるので、これを良い機会と捉え、市民の皆さんと協力し、もう一段、「花いっぱい運動」を盛り上げていきたいです。

Jリーグが始まったころは、市民一丸となってアントラーズを応援し、ジーコやアルシンドなどの活躍に一喜一憂。街中に活気が満ちていました。あの頃を思い出し、東京五輪に向けて、市民がスポーツやボランティアに対する意識を高め、郷土を大切に思う心を取り戻す。そうすれば、地域に人、モノ、お金、情報の循環が起きて、地元にも雇用が生まれたり、高齢者も「生涯現役人生」を送れたりして、経済的にも精神的にも街が元気になっていくでしょう。

いくつになっても、「人のお役に立っている」という感覚を持てることは大事です。それが、その方の幸福感とつながっているからです。

防災意識を高め、地域の絆をつくる

鹿嶋市は東日本大震災の時に、津波に襲われたり、液状化現象による地盤沈下が起きたり、さまざまな被害に見舞われました。でも、近年は震災の記憶も薄れています。小中学校なども海に近いので、子供たちの安全を守るためにも各地域で定期的な避難訓練を行い、防災意識を高める必要があります。自宅は電機店を営んでいますが、地元の商店も、行政と協力してこうした訓練に参加していけば、自然と地域の絆が生まれていくはずです。

私は残りの人生を、地域の皆さんの困りごとの解決や、本当はもっとこういうことがやりたい、という願いをかなえるための、市との橋渡し役として使いたいと思っています。


福祉と教育の相乗効果で
住みよい街に

茨城

幸福実現党
北茨城市議会議員

柴田 妃乃慧

(しばた きくえ) 1948年、福島県生まれ。茨城県立水戸南高等学校を卒業後、事務職を35年務める。2003年に介護福祉士、06年にはケアマネージャーとなり、介護の現場に16年間従事。趣味は詩吟。

46年間お世話になった北茨城に恩返ししたいと思い、昨年の市議選に立候補。皆様のご支援で当選することができました。市議になって1年半ですが、道路の舗装、カーブミラーや街灯、ベンチの設置などを進めています。

例えば、通学路のへこんだ部分にたまった水が凍結し、生徒が転倒してしまうという相談を受け、早急に工事をしてもらい、その後、近隣の方からお礼状をいただきました。市民の方が困っていることを一つひとつ解決していけることは、市議として大きな喜びです。

また、街全体で高齢者を支える風土を育みたいと思い、2006年から認知症サポーターを養成する活動も続けています。認知症になっても安心して暮らせる街づくりが目標です。一方で、経験豊富な高齢者には放課後教室で講師を務めてもらうなどし、高齢者の生きがい創出と教育環境の充実を進めたいと考えています。


助け合い、幸福に
暮らせる下野をめざして

栃木

幸福実現党
下野市議会議員

石川 信夫

(いしかわ のぶお) 1956年、下野市生まれ。小山園芸(現・小山北桜)高校卒業後、旧国分寺町役場に就職。小売業、自動車重機販売業の経営などを経て現職。趣味は読書、手話、ファッション。市内に妻と娘3人と暮らす。

4月に下野市議会議員を拝命し、6月には定例会の一般質問に臨みました。以前からハンディ・キャップを持つ方への支援ボランティアを行っていたこともあり、市役所窓口の手話通訳者の配置などについて質問しました。

地域活動では、「駅前の歩道のブロックがガタガタしており危険」という声を受け、修復いたしました。長らく自転車やゴミが放置されていた駅前の一部を整備していただくなど、環境美化にも取り組んでいます。

私は下野市小金井の商人の子供として生まれました。賑やかだった商店街も、今や半分以上のお店のシャッターが閉まり、寂しい状況です。景気回復のために、まずは市の予算の使い方を考え直す必要があると思い、9月の定例会では、内部留保を貯め、少しでも税金を安くできないかと訴えました。活気溢れる下野を取り戻し、市民の皆様の幸福な生活を目指して、力を尽くして参ります。


宇都宮の渋滞問題を解消!
生き生き暮らせる街で「幸福実現」を

栃木

幸福実現党
栃木県本部 幹事長
兼 宇都宮市地区代表

阿久津 秀昭

(あくつ ひであき) 1958年、宇都宮市生まれ。立正大学卒業後、自動車販売・リース会社に入社。認知症サポーター、日本税制改革協議会会員。趣味は映画・音楽鑑賞、旅、車・バイク。市内に妻と娘2人と暮らす。

故郷である宇都宮をとても愛しており、育んでくれたことへの感謝から、恩返しをしたいと思っています。今の宇都宮の街は、かつての賑わいを失い、駅前の景観も悪く、残念でなりません。市民が誇れる魅力ある街づくりをして、今後さらに発展させたいと考えています。

JRの高架化と橋の増設で渋滞解消

宇都宮は公共交通機関があまり発達しておらず、車に依存せざるを得ないのが現状です。バスの路線や本数はありますが、市民のニーズを満たせているとは言えません。また道路では毎日、JRの線路と鬼怒川を越えるための渋滞が発生しています。

市は「LRT(次世代型路面電車システム)」を導入して渋滞の解消を図ろうとしていますが、市民がよく使うルートではなく、利用者が限られる方面からの着工のため、問題は解決せず、採算も取れないのは明らかです。

私は車業界で長年働いています。その経験から、車の流れをよくするために、「JR宇都宮線の高架化」「鬼怒川に掛かる橋の増設」を行えば、渋滞が解消できると確信しています。

生き生きと幸福に暮らせる宇都宮に

大好きな宇都宮をもっと輝かせようと、有志とともに「クリーン作戦宇都宮」というチームを作り、日曜日の早朝に、各駅や街路、公園などで清掃活動を続けています。回を重ねるごとに、その場所の管理者の方も念入りに掃除をしてくださるなど、美化の輪が広がっていて、うれしく感じています。

また、毎朝出勤前に駅前でご挨拶をさせていただいていますが、雨の日に、歩道の上の雨どいが壊れ、雨水が溢れていたため、直してもらえるよう市に働きかけました。駅構内の点字ブロックが途切れており、不自由にされている方を見かけた際には、鉄道会社に改善をお願いしたこともあります。

私がいちばん成し遂げたいのは、宇都宮の皆様の「幸福実現」です。両親の自宅介護を経験し、自宅で対応する大変さや、本人や家族の心の痛みを体感しました。市民の皆様の困りごとや悩みを解消し、住みやすく、生き生きと幸福に暮らせる宇都宮を実現したい。一人ひとりの心に寄り添える宗教政治家を目指して、これからも皆様のお声に耳を傾けて参ります。