《本記事のポイント》

  • 「独創性の方向性」を示す雛型で"クリエイティブ・チーム"を高速稼動させる
  • 豪速でプロトタイプをつくりあげ、じっくり、そして大胆に修正する
  • 若い頃からの重厚な基礎研究

「日本人にとって、ミケランジェロのような存在」

明治時代に日本美術の本格的な調査を初めて行った西洋人フェノロサは、鎌倉時代の仏師・運慶をこう位置づけた。

「運慶の彫刻に比肩できる叙情的形態を創造したのは多分、天才ミケランジェロただ一人であろう」

駐日フランス大使夫人として戦後日本に滞在したジュヌヴィエーヴ・ダリダンも、こう絶賛している。

そんな日本が誇る天才仏師の作品群が東京国立博物館に集まった特別展「運慶」が26日、最終日を迎える。入場者50万人を超える大盛況となった同展は、改めて運慶への人気の高さを示した。

運慶の最高傑作は東大寺・仁王像

しかし、そんな運慶の最高傑作ともいえる像は、あまりの巨大さのため、会場に持ってくることができなかったようだ。

それは、奈良・東大寺南大門にある2躯の金剛力士像(以下、仁王像)。中学の歴史の教科書に必ず載っているこれらの像は、恐らく誰もが目にしたことがあるはずだ。間違いなく、日本で最も有名な仏像と言える。

その本当の魅力は、教科書の正面写真を見るよりも、実際に東大寺に赴いて、"見上げる"方が、より感じることができる。

全長8メートル超。足元に立ってまず目に入るのが、血管の浮き出た、奥行き1メートルを遥かに超える巨大な足。そこから目線を上げていくと、激しく風にはためく腰布、筋骨隆々の身体、そして、引き締まった憤怒の形相――。その迫力と躍動感は、観る人をまるで異世界にいるような気持ちにさせる。

特に日没後、ライトアップされている時間帯に訪れることをお勧めしたい。昼間は、修学旅行生など人ごみが多く、鳩よけの金網が日光を反射して、仁王像はやや見にくい。しかし、夜の荘厳な静寂の中、暗闇に浮かび上がる巨像の姿は、まるで生きているように見える。

この像が、日本彫刻史の最高傑作のひとつであることは、明らかだ。

8メートルの芸術を70日で造る「離れ業」

しかし、この像の迫力や躍動感に負けないくらい、後世に衝撃を与えることがある。それは、この8メートルの巨像が、2躯合わせて、たったの70日ほどで造立されたということだ。

標準化された製品や建築物なら、まだ分かる。しかしこれらは、800年以上も人々の心を掴み、国宝にも指定されている芸術作品だ。

仕事をしたことのある人なら誰でも、「品質かスピードか」というジレンマに悩んだことがあるだろう。運慶の仁王像は、そんな言い訳を許さない恐ろしい代物なのだ。

この「離れ業」を可能にした造像行程は、現代における「プロジェクト・マネジメント」の視点から見ても、大きな示唆を残している。

「独創性の方向性」を示す雛型でクリエイティブ・チームをまとめる

このスピードの鍵を握るのは、「チーム作業」だ。運慶は、20人ほどの仏師を率いて、造像したといわれている。

しかし、大規模な作業を迅速で行うために「チーム作業」をすること自体は、今も当時も珍しいことではない。

重要なのは、この集団で、迅速につくったものが、「歴史に残る独創性」を持っていたということだ。現代では「仁王像」と言えば、東大寺南大門のものを連想する。しかし当時、同像のような姿の仁王像は、前例がなかった。

なぜ、今までにないものを、全体感を失うことなく、集団で造りあげることができたのか。特に彫刻の場合は、建築物などに比べても、一人ひとりの造形の裁量は大きいはずだ。

ここで鍵を握ったのが、「雛型(ひながた)」の存在だ。運慶は造像に際して、10センチほどのミニチュア版を造った可能性が高いといわれている。

手の平サイズの像なので、細かい表現までは掘りこめない。しかし、大まかな手足の位置や姿勢、全体の雰囲気は「見える化」できる。これで運慶は、「独創性の方向性」を、"クリエイティブ・チーム"内でしっかり共有することができたのだろう。

現代の仕事で言えば、「コンセプト」に当たるだろう。前例も完成図もない、何か新しいものを、チームでつくりあげるには、その仕事の「新しさの方向性」を示す言葉やイメージが必要となる。

それを元に、構成員が各々の創意工夫をしながらも、全体として統一感のある仕事をすることができる。

2週間でプロトタイプをつくりあげ、じっくり、大胆に修正

スピードと質を両立させた二つ目の鍵は、造形の詳細を考え込む前に、像の全体像を組み上げてしまったということだ。その期間、わずか2週間。

それからじっくり、細部を彫り上げ、顔や腕の角度、へその位置など、像の根幹部分を、ためらいもなく大幅修正しているのだ。

恐らく、最初に猛スピードで全体像を作り上げたのも、後から大きく修正することを前提にしていたといわれている。

というのも、巨像の場合、見上げたときの印象を計算することが非常に難しいのだ。例えば、人間と同じ頭と身体のバランスで造ると、見上げた時に、顔が異様に小さくみえてしまう。

そのため、水平の位置から見ると不恰好に見えるほど、頭を大きく造ることが多い。こうしたことも、最初の雛形の段階で少しは計算していたであろうが、実際の印象は、組みあがって見上げてみないと分からない。

このように、事前にあらゆることを計算してから組み上げるのでは、時間がかかってしまう。全体像が見える段になってから問題が見えてきても、間に合わなくなる。

それよりも「これでいける」と言える独創性の方向性がある程度決まったら、「プロトタイプ」を先につくり上げてしまう。それから、参拝者の立場に立ち、じっくり問題や修正箇所を炙り出す。そして、時間に余裕のある中で、大胆に、妥協なく修正していったのだろう。

こうした造像プロセスを見ると、運慶は芸術家としてのみならず、「プロジェクト・マネージャー」としてもかなりの力量を持っていたことが伺える。

若い頃からの重厚な基礎研究

とはいえ、運慶が元々「スピード派」だったわけではない。

運慶が25歳のときに手掛けた事実上のデビュー作は、奈良・円成寺の大日如来坐像だ。当時であれば、数カ月か半年くらいで造られることの多かったくらいのサイズの像だが、運慶は、その倍である1年近くかけている。

その頃運慶は、試行錯誤を重ねながら、自分流のダイナミックな作風を追及していたのだ。彼が仁王像を造る時、短期間でも「独創的な像のイメージ」を提示できたのは、膨大な研究の蓄積があったからだろう。

こうした「運慶のプロジェクト・マネジメント」のポイントは、「重厚な基礎研究」「独創性の方向性を示す雛形による、チーム作業の実現」「迅速なプロトタイプ作成と、大胆な修正」に集約できる。

感性・創造性が重視されつつも、同時にスピード感が要求される現代社会において、大いに参考になるものがあるのではないか。

(馬場光太郎)

【関連記事】

Web限定記事 アベノミクスをつまずかせた「規制」と「増税」

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8851