日本銀行本店の旧館を見下ろせる常盤橋公園(東京都千代田区)にある渋沢栄一の銅像。

2017年2月号記事

富、無限大

埼玉発・日本資本主義の父

渋沢栄一に学ぶ「くじけない心」

幕末の動乱期から昭和にかけて、約500もの企業の設立に携わり、約600の慈善事業などに関わった渋沢栄一。
超人的な活躍の裏にある、現代人が学ぶべき繁栄のためのヒントに迫った。

(編集部 小林真由美)

一、信念を貫くための「柔軟さ」

渋沢栄一が実業家としての活躍を始めたのは、33歳の時。前半生は、紆余曲折の連続だった。

1840年、現在の埼玉県深谷市にある富農の家に生まれた。子供のころから染料の藍玉の製造・販売などの家業を手伝いながら、教育熱心な父のもと、論語や漢詩を学んだ。農家でありながら、商売に携わり、武家のように高いレベルの教育を受けた。

16歳の時、その後の人生に大きな影響を与える事件が起きた。富農だった渋沢家は、村を治める岡部藩から500両(現在の価値で3千万円以上)の御用金の支払いを命じられた。病気の父の代わりに出頭した渋沢に対して、役人は強引に命令に従うよう迫った。

生まれつきの身分で人の偉さが決まることに憤り、「この時に実力や能力のあるものが誰でも世に出られる社会にすべきであると強く考えるようになった」(島田昌和著『渋沢栄一』)。

次ページからのポイント

埼玉りそな銀行初代社長 利根忠博インタビュー

日本を近代国家にするための活躍

三州製菓社長 斉之平 伸一インタビュー

なぜ600の社会事業の設立ができたのか