来春の小学生1年生向けのランドセル商戦が早くも始まっている。近年では、子供・両親・祖父母の3世代が長期休暇にランドセルを選ぶことが多く、今年度最初の大型連休であるゴールデンウィークには、大型百貨店で例年よりも早いランドセルの展示が始まった。

このランドセル選びに関して、近年異変が起きている。

それは「ランドセル格差」と呼ばれるものだ。今やランドセルは、色だけでなく、ブランド、素材、刺繍をはじめとするデザインまで趣向を凝らした多種多様な品ぞろえになっている。価格も安いものは1万円前後から、高級なものになると10万円を超えるものもある。

ランドセルがいじめの原因に!?

そうした状況の中、「ランドセルにかけられる金額によって、子供同士で差別が生まれる」と懸念する声がネットやテレビで取り上げられている。中には、いじめの原因になるとして「学校指定にすべき」「無償化すべき」という声もある。

たしかに、上履きや体操着など学校指定のものはあるし、中学に上がれば制服がある学校が多いことを考えれば、学校指定にすべきという意見にも一理あるかもしれない。しかし、単にランドセル格差をなくせばそれでいいのだろうか。

もしランドセルを同じにしても、それ以外の服装や持ち物には「家庭の経済力」は現れる。また、極端に言えば、「差」をなくすべきであるなら、「成績の差」「体力の差」まで「平等にすべき」という意見にもつながりかねない。

「差」を「教育」につなげる

ランドセル格差をなくすことよりも大切なのは、「差」を「教育」につなげることではないか。

例えば、裕福な家の子に対しては、「お父さん、お母さんが一生懸命働いてくれているから、今不自由なく暮らすことができている。だからそれを当たり前と思わず、恵まれていない人、不自由な人には手を差し伸べられる自分になりなさい」と教えることもできる。

一方、そうでない家庭の子に対しても、「お家が裕福でなくても、お父さん、お母さんはあなたのことを思って一生懸命働いてくれている。裕福な家の子を羨ましいと思うかもしれないが、そういう子を妬んだり恨んだりしてしまってはいけない。羨ましいと思う姿は自分の理想でもある。恨み心で理想を壊すのではなく、それに向かって努力していこう」と伝えることも可能だ。

「差」は自由な社会を維持するカギ

人々が「差」を縮めようとして切磋琢磨し、努力する中で社会は発展してゆく。この「差」こそが、自由な社会を維持するカギでもある。一切「差」を許さない社会は、統制された国家そのものだ。

安易に「平等」に走るのではなく、「差」から何を学べるかを考える方が建設的だ。また、大人が「差」に対してどういう態度を取るかは、子供のお手本ともなる。「差」をきっかけとして「向上を目指そう」という姿勢が、社会全体を発展させる道ではないか。(手)

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