最高裁判所大法廷は16日、「夫婦同姓規定」を合憲とする判決を、初めて下した。

別姓で事実婚の原告5人は、「『夫婦同姓』を定めた民法の規定は『法の下の平等に反する』」と訴えていた。

判決では、「夫婦同姓」は社会に定着しているのに加え、職場などで旧姓の通称使用も広がっている社会状況から見て、違憲ではないとした。

夫婦別姓賛成派は、その根拠の一つに、一般化する諸外国の例を挙げる。しかし、より重要なのは、夫婦別姓が日本の慣習や文化に合うか否か。また、夫婦別姓にすれば、子供の名前がどうなるかも合わせて考える必要がある。こうした視点も、今回の判断を後押ししたと見られる。

明治から100年以上続く「夫婦同姓」

夫婦同姓はもともと、明治時代の法制度にさかのぼる。

1898(明治31)年に制定された旧民法では、夫婦は、男性が優位に立つ「家制度」に基づき、家の名字にすると定められていた。

その後この法律は、1947年に夫か妻の名字を選択できるように改正されたものの、現在、夫の名字を名乗る妻は96%に上る。この慣習が“不公平"だとして、夫婦別姓を可能にするさらなる法改正の声が高まったわけだ。

結婚は市場原理では分からない価値がある

夫婦別姓の議論では、通帳を変える必要がないなどの手続き論に注目が集まりがちだった。しかし、本来は、結婚や家族のあり方そのものを問うべきではないか。

最近では、「結婚はコスパが悪い」などと、家族の存在意義を否定する風潮もある。確かに、子育てなどの費用を考えれば、その考えは理解できる。だが、家族には、市場原理では測れない「人間としての成長」を促す面があり、家族制度自体は肯定されるべきだ。

家族には社会保障の機能がある

さらに家族には、「社会保障の機能」がある点も見落としてはならない。

親が子を育て、親が働けなくなれば、子が親を看る。こうした「孝」の精神が大切にされていた時代には、両親が離婚しても、社会の乱れは起きづらかった。

だが現代では、国家が「個人の面倒をすべて看ればいい」という個人主義的な傾向が強まっており、その結果、社会保障費が青天井で増えている。そのため政府は、"社会保障のため"という誤った美名のもとで増税を繰り返し、国民はますます貧困化に向かっている。こうした悪循環は断つべきだ。

家族内での社会保障の機能を高めるには、家族内のつながりを強くする方向が望ましい。社会の最小単位である家族のあり方を議論すべきだ。(山本慧)

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