地震・津波・洪水──防災対策は「自分のため」より「家族のため」に
2021.02.15
津波や洪水の犠牲者で意外に多いのが、「自分は大丈夫だと思って逃げ遅れた」というケースです。地震についても、「家具などの防災対策にもう少し気を遣っていたら、ケガをしなくて済んだ」ということは多いでしょう。
「自分は大丈夫」という心理が大敵なのですが、「家族は大丈夫だろうか」「お隣さんは大丈夫だろうか」という利他的な発想をすることで、人の防災意識はぐんと上がる──こんな指摘もあります。
本記事では、2019年2月号記事に掲載した防災の専門家へのインタビューを再掲いたします。
※内容や肩書きなどは当時のもの。
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東京大学情報学環 特任教授
片田敏孝
(かただ・としたか)1960年生まれ。専門は災害社会工学。災害への危機管理対応などを研究するとともに、地域での防災活動を全国各地で展開している。著書に『人が死なない防災』(集英社新書)がある。
防災における最大の問題は、「津波などの懸念が高くても住民が逃げない」ということです。
例えば2003年の宮城県沖地震で、気仙沼市は震度5強を観測しました。幸い津波は起きませんでしたが、この時、住民の津波を意識した避難率はたったの1.7%でした。
背景にあるのは、人任せの姿勢です。1959年、伊勢湾台風が甚大な被害をもたらしたことを契機に、行政主導の防災が一気に進められてきました。
その結果、災害による死者数が10分の1ほどに減りましたが、弊害も生まれました。海沿いに堤防をつくるのもお役所。ハザードマップをつくるのもお役所。避難しなければいけない時に「逃げろ」と知らせるのもお役所。避難先で食料を出してくれるのもお役所。国民に、「命を守る主体性」が完全になくなっていった。ハード面の安全性は高まったものの、国民は"災害過保護"とでも言うべき状態に陥ったのです。
そこにさらに、災害があっても「自分は大丈夫」と思い込む心理作用が働きます。これを、「正常化の偏見」と言います。自分が死ぬことを考えられないのは人間の性です。
必要なのは、ハードだけでなくソフト、つまり国土強靭化に釣り合う"国民強靭化"です。
ではそのためにどうすればいいのでしょうか。
「僕の爺ちゃん、逃げないよ」
私は東日本大震災が起きる8年前から、岩手県・釜石市で防災講演会や防災教育を行ってきました。同地域は「30年間に90%以上の確率で津波が来る」と言われていて、時折、津波警報や避難勧告も出ていました。しかし、みんな逃げないのです。
釜石小学校の子供たちに、「ここは昔から何度も津波が来ていると知ってる?」と聞くと、「知ってる」と言う。「君、どこに逃げる?」と聞くと、「逃げないよ。だって立派な堤防ができたじゃない。僕の爺ちゃんも逃げないよ」と平気で答えます。立派な堤防とは、海底からの高さが70メートルになる巨大な湾港防波堤のことです。
小学校でどれだけ防災教育をしても、周りの大人が逃げない状況では子供も逃げない。
私は高齢者大学でお年寄りたちに厳しいことを言いました。
「爺ちゃんが津波警報を無視して死ぬのは、爺ちゃんの勝手だ。だけど爺ちゃんが逃げないから、孫たちは『逃げないよ、だって僕の爺ちゃん、逃げないもん』と言っていた。爺ちゃんは畳の上で死ねるかもしれないけど、子供たちは生きている間に必ず津波に遭う。爺ちゃん、あなたはその背中で孫の命を奪うんだよ」
最初は聞く耳を持たなかったお年寄りたちも、「先生の言う通りだ。津波は周期的にやって来る。『揺れたら逃げる』が、釜石に住まう者の作法だ」と言って、孫たちを連れて一生懸命避難訓練を始めました。
お母さんのために逃げる
さらに釜石小学校の防災教育で逃げることの大切さを伝えた後、子供たちに尋ねました。
「これだけ教われば、みんなはちゃんと逃げるよね。だけどみんなが逃げた後、お母さんはどうすると思う?」
子供たちは「お母さんは僕を迎えに来ちゃう」と一斉に顔を曇らせました。そして「お母さんに『ちゃんと逃げてね』とお願いする」とべそをかきながら言う子供もいました。
そこで私はこう言ったのです。
「もっといいことを教えてあげる。それは君がちゃんと逃げる子になることだ。君がちゃんと逃げると、お父さんやお母さんが信じてくれていたら、君のことを迎えに来ないだろう。
君の命は君だけの命じゃない。お父さんやお母さんにすれば、君の命は自分の命よりずっと大事だ。だから君が自分の命を守ることは、お父さんやお母さんの命を守ることになるんだ」
子供たちは家に帰って、親に「僕は逃げる」と伝えました。
東日本大震災で釜石小学校の児童は1人も亡くなりませんでした。子供たちに「自分が逃げたらお母さんが逃げてくれる」という思いがあったから、泣きながら一生懸命逃げたのです。
これから分かるのは、「自分のことだけを考えると避難しないが、大切な人のことを考えると避難する」ということです。
「知識」より「姿勢」
「人は知識さえ持っていれば、合理的な行動を取れる」というのは、ウソだと思います。釜石に住む人で、地震の後に津波が来ることを知らなかった人は1人もいません。でも何度か警報が鳴っても、逃げませんでした。
必要なのは単なる知識ではなく、主体性や当事者意識を持たせる「姿勢の防災教育」です。そのためには、防災を通して家庭を考え、人とのつながりを考え、地域を考えること。防災を「わがごと」と考えると同時に、「わが家庭ごと」「わが地域ごと」と考えるのです。
「希薄化したコミュニティでは、防災がうまく機能しない」とも指摘されますが、「発想の転換」が必要だと思います。「防災によって、コミュニティをつくる」という発想をするのです。
ハード面を整えるだけでなく、人とのつながりを考え、お互いが思いやる社会になって初めて、防災の適正化が図られるのではないでしょうか。
「自分たちの地域から災害の犠牲者を決して出さない」という意識をつくり上げるチャンスです。それが災害対応における本質に思えてなりません。(談)
【関連書籍】
『天照大神よ、神罰は終わったか。』
幸福の科学出版 大川隆法著
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