【緊急寄稿】中国民主活動家・盛雪氏「世界中が団結し、『共産党ウィルス』と戦うべき時」(前編)

2020.05.04

著名な中国民主活動家、盛雪氏がザ・リバティWebに緊急寄稿。その内容を、2回にわたってお届けする。今回は、その前編。

(幸福の科学 国際政治局 小林真由美)

◆         ◆         ◆

カナダ在住の中国民主活動家

盛 雪

プロフィール

(せい・せつ Sheng Xue) 中国民主活動家。1989年の天安門事件後にカナダに亡命。国際ペンクラブ副代表。ジャーナリスト、作家として数々の賞を受賞。中国の民主化団体としては世界最大級の「民主中國陣線」の元代表。現在は、「民主中國陣線」「カナダ反共連盟」の副主席を務める。

今、恐ろしいウィルスが世界に忍び寄っています。それは世界中に伝染し、死と破壊、苦しみを広げる厄介な生き物です。私たちの生き方、愛し方、働き方、遊び方などの自由を奪い、人としての生き方を変えてしまっています。

このウィルスの大流行は、中国で始まりました。しかし、だまされてはいけません。これは2019年、"武漢で始まったもの"ではありません。約100年前、浙江省の南湖で「中国共産党」の誕生が宣言された時に始まっていたのです。

中国共産党という恐ろしい病

私たちは武漢市から発生し、爆発的に広がった新型コロナウィルスと戦っています──しかし、多くの人々を苦しめ、私たちの世界を突然暗黒の闇に突き落とした本当の"病"は、中国共産党です。

このウィルスが野生動物市場で始まったのか、武漢の生物実験室で始まったのかは明らかになっていませんが、世界中に「COVID-19」を解き放ったのは紛れもなく中国共産党です。共産党は、ウィルスの存在に気づき、警告しようとした医師やジャーナリストなどの市民を沈黙させてまで、この存在を隠そうとしました。

共産党はこれまでも、身体の臓器を摘出するために無数の人々を殺したり、信仰者が集まる教会を焼き払ったり、何百万人ものイスラム教徒を強制収容所に閉じ込めたりしています。世界は、こうした邪悪な権力による人道上の犯罪の多くを無視してきました。

非常に多くの中国人がこのウィルスに感染し、残忍で冷血な人になり、国全体が恐怖で満たされています。この災難は、中国を「地球上の巨大な地獄」として建設するように、人々を駆り立てました。

党からの迫害に苦しんだ幼少期

私は子供のころから、共産党の邪悪さとその伝染する性質を目の当たりにしてきました。

私の祖父は、中国で共産党ができる前の政権の政治家でした。その"罪"により、私の家族は国家の敵として見なされました。共産主義者たちは私たちの家族を罵り、残酷に迫害しました。

父はスパイだと非難された後、教育者としての仕事を奪われ、労働改造所に送られました。裕福な家庭に生まれた母も役人に虐待され、建設現場で10年間、強制労働をさせられました。

私の子供時代は、虐待と差別に満ちていました。両親は私と妹を迫害から逃れさせるために、私が5歳の時に家から500マイル(約805キロメートル)離れた田舎に送り、祖母と生活させました。私たちは政治的に追放された身だったため、同級生たちにひどくいじめられました。約4年後、北京に戻った時、いじめはさらにエスカレートしました。

どれだけいじめられても、自虐的なアイデンティティを持ったり、頭を下げたりすることを拒んでいた私は、さらに苦しみました。とても辛く、何度も自殺したいと思いましたが、「両親をさらに苦しめてしまう」という思いだけが私を止めました。

「北京の春」、そして天安門虐殺

それから私は、党に反対し、社会正義のために戦うことを決意しました。

17歳の時、中国で自由の炎が燃えた「北京の春」と呼ばれる短い時期がありました。政権を批判する内容の壁新聞が貼られた「民主の壁」で、私は抗議文を夢中で読みました。当時、中国が変わることへの大きな期待を持ちましたが、共産党を信頼することは決してありませんでした。共産党の病は自ら治ることはないことを、心の底から分かっていたからです。

それから10年後、私の家の近くの天安門広場で抗議行動がありました。私は毎日、現場に足を運び、活動に参加しました。そして1989年6月4日の明け方、政権リーダーの命令で、兵士が自国民を撃つのを目撃しました。

私の近くに立っていた2人も銃弾に倒れました。現場にいた夫は、10代の少女が、"神聖"な人民解放軍に撃たれたことを理解できずに、怖がりながら逃げ惑うのを目撃しました。弾丸が彼女の頭蓋骨を砕いた時、彼女の目は大きく見開かれ、それから二度と閉じることはありませんでした。

私はその2カ月後に北京から逃れ、カナダに到着してから20日後、トロントの領事館の前で最初の抗議に参加しました。大学でジャーナリズムを研究することを断念し、「民主中國陣線(Federation for a Democratic China)」という団体のトロント支部の立ち上げを手伝いました。この平和な西洋の国で、私はついに安全に過ごせると思っていました。

亡命後、壮絶な嫌がらせが始まった

私は中国を去ったつもりでしたが、すでに党は、追っ手を回していました。執拗な嫌がらせと脅迫がすぐに始まりました。1989年の天安門大虐殺の後、99%の人々が民主化運動を止めてしまった原因は、これです。

彼らは卑劣な手で、私を女性として虐待しました。雑誌から切り取ったわいせつな写真が送られてきたり、男性のトイレに私の名前と電話番号を書かれたりしました。さまざまな噂を流され、私の団体の人々は、私を「スパイだ」と非難しました。ある時は中国政府のスパイ、ある時は台湾政府のスパイの容疑をかけられました。ばかげた話でしたが、辛い時期でした。

2006年にドイツで開催された国際会議に行った後、状況はさらに悪化しました。デンマークからある中国人男性がやってきて、私の仲間と親しくなり、組織に加わりました。それ以来、彼は私について何百もの侮辱的な記事を書き、ネット上にばらまきました。

6年後に私が団体のトップに選出された時、共産党は全面攻撃を開始しました。私の母が私に売春をさせていたなど、私生活を中傷する内容を拡散したり、卑劣なフェイク写真をインターネット上に投稿したりしたのです。こうしたストレスの多い誹謗中傷攻撃と戦うことは非常に苦しく、私の健康にも悪影響を与えました。

私はもう母国に帰ることは絶対にできなくなりました。1996年に一度試みましたがすぐに送り返され、もし再び入国したら二度と国外には出られないと警告されました。

ただ、少なくとも、私には自由があります。習近平国家主席が党の掌握を強化した後の中国に住む14億人とは異なります。私の友人は、多くの活動家、ジャーナリスト、弁護士とともに投獄されています。中には迫害されて死んだ人もいます。ウイグル人やチベット人など抑圧された人々の状況は戦時中よりもひどいです。彼らは反撃ができないからです。強権国家とその巨大監視網に対抗する武器を持っていません。

私が中国について警告した時、人々は「気が狂っている」と言いました。中国国内では誰も党に抵抗したり、その要求を拒否したりすることはできないのです。

世界に伝染する「共産党ウィルス」

一方、共産党ウィルスは地球上に広がっています。店頭の商品は徐々に中国製になっています。イギリスはファーウェイに5Gシステムの構築のサポートを提案していますが、なぜスパイ・ソフトウェアを使っている外国のシステムを導入するのでしょうか?

私は、文明化された世界を破壊するために、共産党が何かすることをいつも恐れていました。破壊こそ彼らの本質だからです。中国が政治体制、経済力、軍事力などで欧米と張り合うことができないのは明らかです。そのため、共産党は今回のように狡猾な方法で、世界を破壊しようとしているのです。

私たちは今ウィルスと戦っていますが、このウィルスを操作している人と戦う術を身につけなければいけません。私たちは歴史のこの瞬間、コロナウィルスだけでなく、さらに凶悪な「共産党ウィルス」に対峙しているからです。

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以上、前編では、盛雪氏の壮絶な実体験から、「共産党ウィルス」の邪悪さが明らかになった。後編では「共産党ウィルス」との戦い方について語っていただく。(続く)

【関連書籍】

『いま求められる世界正義』

『いま求められる世界正義』

大川隆法著 幸福の科学出版

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タグ: 共産党  新型コロナウィルス  武漢  ファーウェイ  習近平  中国民主活動家  盛雪  強制収容所  天安門 

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