人種差別主義のウィルソン元米大統領 プリンストン大学の黒人学生が抗議
2015.12.12
第28代アメリカ大統領ウッドロー・ウィルソン
プリンストン大学の黒人学生たちが、アメリカの第28代大統領で元プリンストン大学総長のウッドロー・ウィルソンの名前をキャンパスから消し去ることを要求し、総長室を占拠する騒動がこのほどあった。
同大学のキャンパス内でウィルソンの名にちなんだものには、公共政策大学院であるウッドロー・ウィルソン・スクールや、寄宿舎、大食堂の壁画などが含まれる。
現プリンストン大学総長のアイスグルーバー氏は、こうした学生たちの要求を受け、ウィルソンが人種差別的な側面を持っていたことを認めた上で、大学の評議会とウィルソンにちなんだ名前を変えることについて話し合う姿勢を示した。しかし、国際連盟の設立などに貢献したウィルソンの名前を完全に取り去ることには否定的だ。
日本の人種差別撤廃の提案を却下したウィルソン
なぜウィルソンは、いまだに黒人学生たちに批判されているのだろうか。実はこの運動は、日本にとっても無関係ではない。
第一次世界大戦後の1919年に開かれたパリ講和会議で、国際連盟が創設された。日本はこの会議の場で、「人種差別撤廃」の条項を国際連盟の原則に加えることを強く訴えた。
この提案は過半数の賛同を得たものの、イギリスなどが反対。議長を務めたウィルソンは「全会一致でないため提案は不成立である」と日本の提案を突っぱねた。日本側は「これまでは全て多数決だったのに、なぜ今回に限って全会一致を必要とするのか」と詰め寄ったが、ウィルソンは譲らなかった。人種差別を続けることを宣言したようなものだ。
日本はアジア・アフリカの人々に希望を与えていた
国際会議の場で人種差別の撤廃を提案したのは日本が初めてであり、これは歴史的なことだった。特に、これまで欧米の植民地体制の下で苦しんでいたアジア・アフリカの人々や、アメリカの黒人に大きな希望を与えた。
実際に、全米黒人新聞協会(NAAPA)は当時、次のようなコメントを発表した。
「われわれ黒人は、講和会議の席上で人種問題について激しい議論を戦わせている日本に最大の敬意を払う」「全米1200万人の黒人が息をのんで、成り行きを見守っている」
こうした史実を見るにつけても、日本が戦った大東亜戦争には「人種差別の撤廃」という大義があったことがわかる。
今でも黒人を排除する傾向の強いプリンストン大学
ウィルソンが人種差別的だったのは、黒人差別が根強かった南部出身だった影響もあるだろう。ウィルソンは、南北戦争後初めて「南部出身」で大統領になった。その頃は、南部では黒人の公民権剥奪が行われ、有色人種を隔離差別する法律が成立していた時期。こうした事情もあり、ウィルソンは就任時も政府の職員から黒人をすべて排除するという人種差別的な政策を取っていた。
その考え方は、彼が政治家になる前に総長を務めたプリンストン大学の校風にも影響を与えていた。ウィルソンはプリンストン大学の総長として「黒人学生の入学は勧められない」という姿勢を示していた。そのため、ハーバードやイェールなど、他のアイビーリーグの大学と比べ、プリンストンへの黒人学生の受け入れは大幅に遅れた。
現在でも、プリンストンで学ぶ黒人学生たちは「自分たちは排除されている」と感じており、冒頭で紹介したような人種差別の撤廃を訴える活動につながっている。
アメリカの歴史は、人種差別問題と切っても切り離せない。今後アメリカで、これまでの白人優位主義を反省させられるような出来事が各方面で起きてくるだろう。(真)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『ネルソン・マンデラ ラスト・メッセージ』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1075
【関連記事】
2015年6月22日付本欄 アメリカの黒人教会で銃撃事件 人種差別を乗り越えるには?
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9780
2014年11月26日付本欄 黒人射殺の白人警官が不起訴 オバマがトップでも、人種差別が消えない背景
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8815
2014年8月20日付本欄 【そもそも解説】アメリカの黒人射殺事件は、なぜ尾を引いているの?
「自由・民主・信仰」のために活躍する世界の識者への取材や、YouTube番組「未来編集」の配信を通じ、「自由の創設」のための報道を行っていきたいと考えています。
「ザ・リバティWeb」協賛金のご案内
YouTubeチャンネル「未来編集」最新動画