頼山陽(Wikipediaより)

「明治維新の原動力は頼山陽」――

初代総理大臣の伊藤博文をして、最大級の評価を言わしめた頼山陽(らい・さんよう)は、江戸時代後期(1780年-1832年)の儒学者。山陽の死後に出版された『日本外史』は、幕末から明治にかけて大ベストセラーになり、明治維新の志士のバイブルとして愛読されました。

かの有名な伊藤博文や近藤勇、坂本龍馬、西郷隆盛、井上馨などが、山陽の書物を熟読しており、まさに「頼山陽を知らずして尊皇攘夷を語るなかれ」と言っても過言ではありません。山陽の息子である三樹三郎(みきさぶろう)も、父の影響を受けて尊皇攘夷運動に奔走し、吉田松陰とともに安政の大獄で刑死。松陰の墓の隣に葬られています。

そんな山陽ですが、第二次世界大戦後はGHQの占領政策の影響か、彼の業績や著作を知る人は少なくなりました。一体、どのような人物だったのでしょうか。