『信貴山絵巻』に描かれた、東大寺大仏の当時の姿。大仏の座高は、江戸時代に再建された現在の像よりも大きく、全身も黄金で輝いていた。大仏殿も、現在の1.5倍もあった。(Wikipediaより)

昔の日本が、西洋から「黄金の国ジパング」と呼ばれていたのは、ご存知の通りです。実際に日本は、世界有数の金の産出国であり、「小判」などの金貨も盛んに使われていました。

しかし、日本が奈良時代まで「金が出ない国」だったことは、さほど知られていません。金はあくまで異国でしか採れない鉱物。主に朝鮮半島からの輸入に頼っていたのです。その日本で、金が産出されるようになったきっかけ。それが、奈良時代の東大寺・大仏建立事業でした。

「仏法の威力で、日本を繁栄させる」

20日付本欄では、「東大寺の大仏建立の背景にあった思想」をご紹介しました。大仏建立は『金光明最勝王経』に書かれた「鎮護国家」の教えに基づくもの。聖武天皇は詔で、「仏法の威力によって天地が安泰となり、末代までも残る立派な事業を成就させて、動物も植物も悉く栄えるようにと望む」と、大仏建立を宣言しました。(参照 http://the-liberty.com/article.php?item_id=9215 )

しかし、実際の建立事業は困難を極めました。