2015年2月号記事
編集長コラム
「失われた25年」を克服する新・3本の矢
「失われた20年」は1990年ごろからだから、今や25年になろうとしている。これだけ長い間、日本経済が低迷し続けても、まだ克服できないのはなぜか 。
日本を没落させたBIS規制
大川隆法・幸福の科学総裁は、近著『自由を守る国へ』でこう指摘した。
「やはり、『グローバルスタンダード』という言葉に、そうとう騙されたところがありました。日本を没落させ、中国を発展させようとした"策士"、あるいは"軍師"が、アメリカのなかにいたのではないかと、私は感じています」
グローバルスタンダードを要求する動きは、93年からのクリントン政権で加速したが、80年代後半からもう始まっていた。 国際取引をする銀行へのBIS(国際決済銀行)規制がその一つだ。
この規制は、「総資産(預金や融資など)に対する自己資本(資本金など)を8%以上確保しなければ、融資を拡大してはいけない」という取り決め。80年代、日本の銀行は薄利多売的な手法で世界中で融資を拡大していた。米英の金融機関がジャパン・マネーを止めようとしたのがBIS規制だった。
日本の銀行は91年からのバブル崩壊で不良債権が積み上がり、融資を減らさざるを得なくなった。貸し渋りや貸し剥がしで、企業倒産が次々と起こったのが98年ごろだ。
ムーディーズなどアメリカの格付け会社が、日本の金融機関の格付けを下げ、銀行倒産にも見舞われた。
"策士"ユダヤ系金融資本家
クリントン大統領(手前)と同政権で手腕を発揮したルービン財務長官。ルービン氏はユダヤ系とされる投資銀行ゴールドマン・サックス出身。クリントン政権は90年代、日本に市場開放の圧力をかけ続ける一方、中国の国力を押し上げた。写真:Reuters/アフロ
クリントン政権は、日本に市場開放を求めて「年次改革要望書」を突き付ける一方、中国を「戦略的パートナー」と位置付けて中国経済を押し上げた。
"策士"とは、アメリカの名門投資銀行を所有するユダヤ系の金融資本家と考えていいだろう。
歴史的にユダヤ人は迫害を受け、いつ財産を奪われるか分からなかった。彼らにとって商売は「1回こっきりの取引で、もし騙されたら騙されるほうが悪い」というもの。そして、いつでも逃げ出せるように、「財産を今日売ったらいくらになるか」を示す時価会計主義を採り、取引相手にも通用させようとしてきた。
日本はこれとは正反対。日本列島から逃げ出す必要もないので、商売は「損したり得したりしながら、長期的に互いに利益がある」というやり方。その象徴が「系列」「株の持ち合い」などだが、"策士"たちは「けしからん」と「年次改革要望書」でやり玉に挙げた。
評判の良くない世界標準
そのグローバルスタンダードだが、あまり評判は良くない。
アメリカの大企業の役員はべらぼうに高い報酬を取る。社員の給料を安くしたり、簡単にクビを切ったりする。時価会計にもとづく決算で株や不動産の値上がりを反映させ、"いい数字"を並べる。それで数十億円を手にする算段だ。
日本は、買った時の価格で帳簿につける原価主義だったが、アメリカから時価会計の導入を求められた。ところが、2008年からのリーマン・ショックで株や不動産が暴落したら、"策士"たちはたちまち時価会計を一部停止した。日本は完全に振り回されている。
ただ、日本の銀行も貸し渋りなどをやったものだから、同じく評判が良くない。企業経営者は「銀行からお金を借りると、どんな目に遭うか分からない」と考えているから、「お金の値段」である金利はタダに近い。
大川総裁はこの現象が「資本主義の終わり」であるとの認識を示している。 世界中で不評の金融部門を救い出さないといけない。それが「失われた25年」を取り戻すことになる。
1本目の矢
「BIS規制の拒否」
ただ、大局的にグローバルスタンダードが広がることは、そう悪いことではない。国境の壁が低くなり、世界規模での競争に参加することで、誰でも豊かになれるチャンスがあるのは否定すべきものではない。
一方で、各国の独自性も守らなければならない。明治日本が欧米の植民地化の圧力に抗し、独立を守りながら近代化したのは一つの模範だ。
大川総裁は前掲書で、「日本モデル」をアジアやアフリカなどに広げていくべきだとの考えを示した。
「日本モデル」は例えば、先述の、日本と商売すると互いに長期的に利益になるスタイルだ。勤勉に努力し、正直にやるほど儲けられるという、信頼の文化と言っていい。
日本的価値観にもとづいて外国の取引企業を「格付け」し、影響を広げていくべきだろう。当然、BIS規制は拒否すべきだ。 数字には表れない日本の価値観や基準にもとづいて金融機関が動けば、ジャパン・マネーは息を吹き返す。
ユダヤ系の大資本家であっても、日本モデルがいいと思うなら採り入れてくれればいい。「逃げ出さないで済む国」として日本に住んでもらってもいい(三代で財産がなくなる相続税を廃止する必要があるが)。
2本目の矢
「金融監督庁は不要」
明治の銀行王・安田善次郎は、浅野財閥創始者の浅野総一郎が計画した横浜・川崎間の埋立事業に対し、巨額の融資を行った。完成まで20年もかかる事業に周りは反対したが、善次郎は押し切った。その根拠は浅野の「不動の決心」だった。
続いて大川総裁は「長期系の銀行」の必要性を提言した。これは、重工業などに長期的に資金を供給し、戦後復興に貢献した旧日本長期信用銀行や旧日本興業銀行などが念頭にある。
長銀はバブル期以降に方向性を見失ったが、アメリカの投資ファンドに買収される前の最後の頭取はこう語っていた。
「欧米の金融機関から『5年、10年先を見通せるのか。そんな長期間、金を貸して大丈夫なのか』とよく言われた」「日本とアメリカの金融哲学が正面から衝突し、日本が敗れ去った」
金余りと言われる現在も、起業家のアイデアを審査し、融資を通じて新産業を育てるのが、銀行のミッションであることに変わりはない。
明治期にその役割に徹したのが銀行王の安田善次郎(1838~1921年)だ。鉄道や発電など国の発展を支えるインフラに大胆な融資や出資を行った。善次郎はお金を貸す際、相手の何を見ていたか。
「確固不動の決心と千挫不動の堅志とをもって事に当たる人物の精神ほど、確実な信用はない」
善次郎の言葉にもとづけば、金融監督庁が細かな検査基準で、特定の企業への融資が優良債権なのか不良債権なのかを選り分けてみてもあまり意味がない。金融システムは守るにしても、 「リスクを負うのは銀行なんだから、自己責任で経営してください」というのが政府のスタンスであるべきだろう。その意味で、金融監督庁は不要である。
3本目の矢
「文科省の廃止」
善次郎は生涯一度も海外に行ったことがなかった。それでも目は海外に開かれ、海外視察した人の話を聞いては新事業のタネを探した。明治の産業人には、欧米にあるものを日本にいち早く導入するという共通したビジョンがあった。
これからの銀行家は、どういうビジョンを持つべきか。
最強国のアメリカにあるもので、日本にないものはほとんどない。日本の航空・宇宙や軍事の分野が極端に弱いくらいだ。ならば、日本はもう独自に新しい道を切り開かねばならない。
大川総裁は近著『資本主義の未来』で、これからの資本主義が何によって開かれるかを語った。
「今までにないものをつくり出す、考え出す、生み出す力です。これが大事であり、『どうやって、創造的な頭脳をこの国につくり出すか』ということが大事なのです。これをやれば、だぶついている資金の使い道が出てきます」
「創造的な頭脳」とは、霊的世界からインスピレーションを受けられることであり、宗教教育によってそうした人材を育てられると大川総裁は強調した。
これを実践したのが発明王エジソン(1847~1931年)だ。エジソンは魂の不滅を信じ、あの世の霊的存在のインスピレーションによって、自身の1千以上の発明が可能になったと考えていた。
まさに未来のエジソンを生み出すような宗教教育をやろうとしたのが幸福の科学大学だった。 その開学を文部科学省は、「霊言(霊界からのインスピレーション)は科学的ではない」として認めなかった。
文科省が資本主義の未来を閉ざすならば、もはや廃止論を唱えなければならない 。
日本経済の「失われた25年」を克服する道は、BIS規制の拒否、金融監督庁の廃止、そして文科省の廃止にある。 アベノミクスの「3本の矢」は、消費税増税などで失速した。日本経済の心臓部である金融部門を蘇らせる「新しい3本の矢」が必要だ。
(綾織次郎)