2014年11月号記事

法話抜粋レポート

仏教が説いた幸福論の原点に立ち返る

「仏教的幸福論─施論・戒論・生天論─」

8月20日 幸福の科学教祖殿大悟館

仏教的幸福論―施論・戒論・生天論―

仏教的幸福論―施論・戒論・生天論―

大川隆法著

幸福の科学出版

幸福の科学大学での講義を念頭に、自らが説き続けてきた「幸福論」を学問的視点から再構築している大川総裁。今回は、幸福の科学教学に深いかかわりのある仏教思想について、その幸福論とは何かを解説した。

あの世を前提とした幸福論

仏教は、「この世の生は苦しみや悲しみに満ちている」と見ていたのであり、幸福論を説いたわけではないと見る向きもあるだろう。だが、大川総裁は、仏教が栄えたインドや日本において、これまで人口が増え続けてきた事実を踏まえれば、この世に生まれてくることには、何らかのニーズがあるはずだと指摘。

大川総裁は、仏陀自身が高弟に対し、「自分も功徳を積んで幸福になりたい」と語ったエピソードを紹介し、 「この幸福の意味は、最終的には『生天』にあります (中略)。 『この世を去って、あの世に生まれる』ということです」 と語った。「苦しみの多いこの世で、どれだけ功徳を積んだかによって、来世に行くべき世界が変わる」という霊的人生観が、仏教的幸福論の根底にあることを明らかにした。

大川総裁は、仏陀が得意としていた説法である「次第説法」を挙げて、人々を幸福に導く「施論・戒論・生天論」を解説した。

施論が筆頭に来る意義や、戒論が「仏法は王法を超える」という故事の根拠になった理由などを詳述。さらに、仏教、キリスト教、イスラム教の戒律が時代に合わなくなっている現状や、比較衡量の視点で解釈を変えていく必要性を強調した。

施論と戒論を守れば、天国に還ることができ、これが最大の幸福であるという教えは、あの世も含めて初めて、「善因善果・悪因悪果」の法則が完結することを意味している。

大川総裁は、学問の世界において、霊魂と実学を分けたとされるカント自身も、「善因善果は来世がなければつじつまが合わない」という主旨のことを語っていたと指摘。善良な人が非業の死を遂げることがあるように、この世は一見不合理に見えるが、来世があるからこそ、神仏の正しさは実現するのだ。

仏教は唯物論などではない

現代の仏教学では、中村元氏などが、次第説法を「子供騙し」や「方便」のように捉え、その流れから仏教の「無霊魂説」や「唯物論説」が出てきている。

しかし、仏陀が「不妄語」の教えを説いていたのは厳然とした事実だ。

大川総裁は、 「『最初から、仏陀が方便のために、初見の民衆に対して嘘を説いた』というのは、仏教に対する大いなる侮辱だと思います」 と、仏教学者たちの間違いを厳しく指摘した。

形骸化して考古学、文献学になってしまった仏教学から、仏陀の本心に到達するのは困難だろう。宗教の原点に立ち返った、仏教的幸福論の研究が望まれる。

ここに紹介したのは法話のごく一部です。詳しくは幸福の科学の施設で、ぜひご覧ください(下記参照)。

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