安楽死をするために、スイスに渡航した外国人の数が、2008年から12年までの5年間で約1.4倍に増えたという調査結果を、チューリヒの研究機関が21日に英専門誌に発表した。

スイスでは、医師の助けで重症末期患者が安楽死することが認められている。そのため、神経疾患や、がん、リウマチ、心疾患などを抱える重症患者がスイスに渡り、現地の非営利団体などの援助を受けて安楽死しているという。

近年、自国では認められない生命科学の技術を求めて、他国に渡る人が増えている。最近でも、代理出産を認めるタイにおいて、オーストラリア人が代理母から生まれたダウン症の男の子の引き取らなかったと問題や、日本人男性が少なくとも12人の子どもを代理母出産させていたことなどが取り沙汰された。

こうした「生命倫理」の問題に関しては、国によって制度が異なり、価値観が錯綜している。私たち個人は、どのように判断したらいいのだろうか。

例えば、安楽死の善悪は、霊的人生観がなければ結論が出ない。大川隆法・幸福の科学総裁は、著書『不成仏の原理』の中で次のように述べている。

「魂修行としての人生を生きてきて、『そろそろ寿命が来た。お迎えを待って、あの世に行かなくてはならない。あまり長く家族に迷惑をかけたくない。家族を早く楽にしてやりたい』という気持ちで、安楽死や尊厳死を望む人もいます。

一方、欧米では、この世に執着し、『生きたい。生きたい』と思っているにもかかわらず、なかなか快復しない人に対して、唯物論的な考えで治療行為を打ち切るケースもよくあります。その結果、『殺された』と言って、霊が暴れることもあるのです」

死期が来ているにもかかわらず、延命措置を続けて苦しみすぎると、死後に魂がその苦しみを持ち越し、心に葛藤をつくってすぐに成仏できないことがある。そうした事態を防ぐために、安楽死を選ぶことは必ずしも悪ではない。

しかし、親族が「人間は死ねば終わりだ」と思って安楽死を選んだ場合、本人の「霊」が家族を恨み、やはり天国に旅立ちにくくなるケースが出てくる。

また、本人があの世の存在など認めていない状態で、人生を悲観し、「死ねば苦しみも何もかも消えて楽になる」と思って安楽死を選んだ場合は、一種の自殺行為になる可能性がある。一般に自殺した人は、自分が死んだことさえも分からず、長年に渡って地上でさまよう人がほとんどだという。

このように、生命倫理に関わる善悪は、「どのような動機で行うか」「その背景に霊的人生観があるかどうか」が出発点となる。科学が発達するほど、それに見合った宗教観を持たなければいけない。(光)

【関連書籍】

幸福の科学出版 『不成仏の原理』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=865

幸福の科学出版 『地獄の方程式』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=968

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