公開霊言抜粋レポート
哲学者ハイデガーが語る「ヒトラー的なるもの」とは何か
公開霊言「『超訳霊言』ハイデガー <今>を語る―第二のヒトラーは出現するか-」
2014年3月20日収録
ロシアのプーチン大統領が、クリミア半島に軍事介入し、ロシアへの併合を進めようとする中、欧米を中心に彼をナチスのヒトラーに喩える論調が出てきている。また、日本の安倍晋三首相も、戦争放棄を謳った憲法9条の改正を目指すなど、防衛力強化を進めていることから、反対陣営からはヒトラー呼ばわりされることもしばしば。当然ながら、軍事的拡大を続ける中国の習近平国家主席や、核で周辺諸国を脅す北朝鮮の金正恩第一書記もこの点は同じだ。
このように、世界には「ヒトラー候補生」の扱いを受ける指導者は多い。これらの評価のうち、どれが正しくどれが外れているのか。「ヒトラー的」というのは便利なレッテル貼りであるため、安易に使われやすく、価値観が混乱していることは否めない。
大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁は、これまで、話題の指導者たちの守護霊や関係する霊人を招霊し、その本音を明らかにしてきた。そして今回、ナチス政権に協力したとされるドイツの思想家ハイデガーを新たに招霊。"元関係者"の口から「全体主義的なもの」「ヒトラー的なもの」の本質を語らせた。
最近、作者の意図を読み取って分かりやすく翻訳する「超訳」というスタイルが出版業界で話題だが、ハイデガーの霊は難解な自らの思想を「超訳」して分かりやすく聴聞者に語り、また、生前はほとんど触れることのなかったナチス加担問題についても言及した。
ナチスに協力したハイデガーの真意
マルティン・ハイデガーの思想的影響力には巨大なものがある。哲学の分野では、実存主義、構造主義、ポスト・モダン、解釈学といった流れに大きなインパクトを与えたほか、神学、芸術論、精神医学などの分野にまでその余波は及んでいる。
主著とされる『存在と時間』をはじめ、ハイデガー哲学の影響を受けた思想家や芸術家の名前を挙げると、サルトル、フーコー、デリダ、ドゥルーズ、レヴィナス、ローティ、アーレント、マルクーゼ、ガダマー、ブラック、ブランショなど、枚挙に暇がない。ハイデガー嫌いの人でも、影響力という点において、彼が「20世紀最大の哲学者」であることは認めざるをえないだろう。
優秀な哲学史家でもあったハイデガーは、ソクラテス以降の哲学の歴史を振り返り、その営みを丸ごと批判する。伝統的な哲学は、すでに存在しているものについて「それは何であるか」は問うてきたものの、「そもそも何かが存在するとはどういうことか」を不問にしてきたとし、彼独自の「存在論」の構築を目指した。このスタイルは独特の文体とも相まって、当時の思想界にブームを巻き起こし、ハイデガーは一躍"時の人"となった。
しかし、ハイデガーを評価する上で避けて通れない問題がある。それは、彼がヒトラーのナチス政権に協力したという事実だ。ハイデガーはナチス政権が成立した1933年にフライブルク大学の総長に就任。間もなくナチスに入党する。大学の内外で行ったいくつかの演説でヒトラーやナチスを讃美したばかりでなく、ナチスの方針に沿った方向で大学の改革を図ったりしたことなどが、今日、批判に曝されている(結局、改革による混乱の責任をとるかたちで、約1年で学長を辞任)。
さらに戦後、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)などナチスの悪行が明らかになっても、反省らしい反省の言葉をほとんど述べなかったことも多くの人々の不信を招くことになる。ハイデガーの真意については、これまで多くの議論が戦わされ、「ハイデガー論争」という一つのジャンルができているほどだが、今回の霊言ではついに本人がその心情を語った。
ハイデガーの霊はまず、第一次世界大戦で敗戦国となったドイツに対し、戦勝国が過酷な扱いをしたことについて、ドイツ国民の間に悔しさが残っていたと語り、 「そういう感情はあったので、(ドイツ復興を目指すナチスを)支持する気持ちは底流にあったし、私も大学の教授職、フライブルク大学の総長を任命されたりもしたんで、そういう意味では、国家の方針に従おうとしていた面は確かにあった」 と述べた。また、かつてドイツ国民を鼓舞した哲学者フィヒテを例に挙げ、 「気持ち的には、ちょっと似たものはあった」 と当時の心境を述懐した。
ハイデガーの気持ちとしては、どん底を味わったドイツを復興させようとするナチスに共鳴し、自らもその事業を手伝おうということであったらしい。しかし、ユダヤ人迫害が大規模化したのはもう少し後年だとしても、ナチスの暴力性や人種差別思想はハイデガーが大学総長であった当時にはすでに明らかだった。それを些細なことと考え、自らの力で善導できるレベルだと思ったのだとすれば、ナチスの悪魔性を見抜けていなかったと批判されても仕方がないだろう。
この点について、ハイデガーの霊は、以下のように語った。