超辛口の言論で左翼文化人や官僚をなで斬りにした谷沢永一氏が亡くなって、今年3月でちょうど3年が経つ。

博覧強記の教養に加え、元日本共産党員としての経験から、共産主義・社会主義者たちの"手口"を白日の下にさらした谷沢氏。ソ連崩壊後も左翼勢力の勢いは衰えるどころか、共産中国の台頭によって「夢を再び」と考える人たちが増殖しているようだ。

四書五経など中国古典にも通じた「現代の孟子」とも言える谷沢氏のスピリットを、今こそ復活させなければならない。

生前、谷沢氏の薫陶を受けた書評家・評論家の小笠原茂氏が、縦横無尽の谷沢永一論をつづった。

谷沢永一(たにざわ・えいいち)

近代日本文学研究の第一人者。元関西大学文学部教授。文芸評論家、書誌学者。1929年大阪生まれ。著書に『人間通』『悪魔の思想――「進歩的文化人」という名の国賊12人』『司馬遼太郎の贈り物』などがある。2011年3月逝去。

小笠原茂(おがさわら・しげる)

書評家・評論家。1945年仙台市生まれ。書評、評論を中心に執筆活動を続ける。著書に『好きでこそ読書』『中国人とは何者か』がある。

(前編から続く)

大塚久雄の論文について、谷沢永一の分析はこうである。

「近代以前の社会に近代科学があるはずはない。この"はずがない"論から大幅に跳躍して、それを〈見出されない〉論の断言調におきかえたのが『大塚久雄』の論理なのです」

ここが大塚論文を読むポイントなのである。谷沢永一は大塚久雄における言論活動の特徴を列記している。

第一の志向は、どんなことがあっても、けっして本音を吐かないほのめかしを主とする朧(おぼろ)語法の活用である。

そして一般世間に顔出しするときには紳士的に居ずまいを正し、社会主義者であり共産主義者である本当の素顔を露呈しないために、近代主義者の仮面をかぶり、自由主義者の衣裳をまとっている。

しかも彼ら反日的日本人は、表面上折り目正しい紳士を装い、「天皇制打倒」などという言葉は口が裂けても言わなかった。

大塚久雄の論調は、事柄を明晰に表現しないで、ほのめかし、言いくらまし、あてこすり、嫌がらせ、皮肉、さらには持ってまわった曖昧な言立てを使い、迂回作戦をとった。

進歩的文化人たちにとって、社会主義・共産主義は、それを口実として論壇に自分の座を確保するための処世術であった。谷沢永一が言うところの「営業左翼」なのである。

また大塚久雄は次のように書いている

「『近代化』といふ語は、このごろの『民主化』といふ語と同様に、ここでは或る程度漠然たる意味に用いられてゐる。つまり、封建的なものの崩壊を資本主義的なものの成立といふ厳密な意味での『近代化』のみでなく、さふしたものの歴史的により高い段階への止揚といふ事実も亦(また)含まれてゐる」(1947年、「近代化の歴史的起点」序)

この「より高い段階」という朧(おぼろ)語法は、いかなる社会構成を指すのかは、いっこうに分からない。この回答は何と22年後にやっと明らかにされた。