性同一性障害で女性から性転換して結婚した男性と、第三者の精子による人工授精で妻が産んだ子供との間に父子関係が認められるかが争われた裁判で、最高裁が初めて「父と認める」との判決を出した。
民法772条は、正式な結婚をしている夫婦について、「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」と定めている。今回の判決は、生物学上はあり得ないが、この条文を適用すれば今回のケースも「父」と認めてよいのではないかと判断したもの。ただし、5人の裁判官のうち2人は反対に回った。
今回の判決の背景について少し解説してみたい。
このニュースを見て、「そもそも肉体は女性同士なのに夫婦になれるのか?」「日本は同性婚が認められていないのでは?」と疑問に思った人もいるかもしれない。
実は、2003年に性同一性障害特例法という法律が成立し(2004年より施行)、20歳以上で未婚、公共の場で元の性と誤解されないような身体的特徴がある等の要件を満たし、家庭裁判所で認められれば、戸籍上の性別を変更することができるようになった。
ゆえに「同性」婚は認められていないが、性転換で「異性」関係になれば結婚できるというわけだ。
ただし、結婚したとしても、現代医学では生殖機能まで変えることはできないため、夫婦として子供を持ちたい場合は、養子縁組をするか、第三者から精子提供を受けて人工授精を行うなどの道を選ぶことになる。今回裁判を起こした夫婦も人工授精の道を選んだが、出生届を出すときに、役所が「正式な法律上の子供(嫡出子)」と認めなかったため、司法判断を仰ぐことになった。
現行の民法は、生殖医療技術の発達を想定しておらず、第三者から精子の提供を受けて生まれた子供や、代理母から生まれた子供の親が誰かについて明確な規定がない。しかし、通常の夫婦では、第三者の精子で人工授精を行って子供を授かった場合、出生届では分からないため、法律上の子供と認められる。
それならば、性別を変更して夫婦になった場合も親子関係を認めていいのではないかという主張は当然ありうるだろう。
この問題をどう捉えたらいいのか。「同じようなケースで悩む人が救われる画期的な判決」との歓迎の声もあれば、「父親と血縁関係がないことに子供が戸惑う」として反対する人もいる。また、「生殖医療技術や、性別変更を認める社会の変化に、法律が追いついていない」という指摘もされている。
しかし、法整備だけではすべての個別の問題に答えは出せない。むしろ、「技術や社会の進歩に霊的人生観の普及が追いついていない」と言うべきだ。
まず、本誌でも何度か指摘したように、性同一性障害は病気ではない。
魂は、何度も転生輪廻を繰り返しているが、各自の人生計画で、男女どちらの性に生まれるかを決める。
男性中心に転生してきた人が、今世初めて女性で生まれれば違和感を覚えるかもしれないが、たいていは自分で決めてくる。生まれる前にそうした人生計画を立てたことを忘れて葛藤することもあるし、まれに人生修行の観点から、本人の望みとは違う性別に生まれて苦しむこともある。
どうしても納得がいかない場合は性別変更の道を開いてもよいが、あくまでも例外とし、基本的には霊的背景を知って、責任が取れる範囲内で行うべきだろう。
また、体外受精などで授かる子供との関係について述べれば、各人は魂修行をする環境を選んで生まれ、親子もあの世で約束をしてくる。その意味では、血縁関係だけで親子が決まるわけではないと言える。
ただし、「血縁がなくても親子関係を認めよ」と、親の「権利」を主張しすぎてはならない。生まれてくる子供は授かりものであり、霊的に深い縁があるという人生観がなければ、生まれてくる子供が苦しむことになる。
個人の幸せという観点と社会の発展を両立するため、霊的人生観の普及が急がれる。(佳)
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