新ローマ法王フランシスコ(右)と、小鳥と対話するなど神秘的な逸話が多い聖フランチェスコ(左)。カトリックは繁栄する現代において霊性を取り戻すことができるか。写真:Abaca/アフロ

2013年5月号記事

新ローマ法王は現代の聖フランチェスコになれるか?

――カトリック教会「建て直し」のための処方箋

12億人の信徒を誇るカトリック教会に、新しい法王が誕生した。ただ、カトリック教会は今ほど危機に立っている時はない。聖職者による少年への性的虐待、中絶・避妊の禁止による社会的ゆがみ、バチカン銀行と闇社会とのつながりなど、様々な問題が教会を大きく揺さぶっている。新法王フランシスコは、教会を再建できるのだろうか。カトリック改革の方向性について考えた。

カトリック教会の「建て直し」の重責

新法王フランシスコは法王名を、中部イタリア・アッシジのフランチェスコから取った。13世紀初め、「私の壊れかけた家を建て直しなさい」というイエス・キリストの啓示を受け、イエスの清貧の生き方を実践した聖人だ。今まさに、教会の「建て直し」が期待されている。

法王は選出後、「貧しい人々のための質素なカトリック教会にしたい」と述べ、聖フランチェスコのように貧困問題を最重視する姿勢を見せたが、問題は、教会に対する今のイエスの思いを受け止めることができるかどうかだ。

熱心なカトリック信徒にはにわかに信じがたいかもしれないが、幸福の科学の大川隆法総裁は、イエスの霊言を数度収録している。『大川隆法霊言全集第5巻 イエス・キリストの霊言』、『家庭の法に関して』第1章「家庭問題と信仰・ユートピア運動の調和」(共に非売品)などがそうだ。このほか必要な時は普段でも対話する。

以下はそれに基づくカトリック教会「建て直し」の方向性だ。

(1)少年への性的虐待問題

聖職者による性的虐待は世界で訴えが続き、被害者は数千人規模とされる。神父の独身制が背景にあり、各国で「独身制を廃止せよ」「女性司祭を認めよ」という声が上がる。司祭は年々減り続け、現在約40万人。辞める理由の多くが結婚だという。しかし、歴代法王は「イエスは使徒に男性しか選んでいない」(ヨハネ・パウロ2世)などとして独身制廃止にも女性司祭にも反対を貫いてきた。

司祭の独身制は、聖書のイエスが性的禁欲を守ったことによる。しかし教会が認めない外典の福音書によれば、イエスには事実上の伴侶がいる。高級娼婦とされたマグダラのマリアがその人で、イエス処刑時には、逃げた男の弟子たちをよそに数人の女性と共に立ち会った。

外典の一つピリポ福音書には、ペテロら男性の弟子たちがイエスに対し「なぜ私たちよりも彼女を愛するのですか」と訴え、マグダラのマリアに激しく嫉妬する場面が描かれている。

大川総裁は、『「黄金の法」講義(1)』(非売品)でこう指摘した。

「マリアの福音書などを読んでみると、結局、イエスの実際上の伴侶はマグダラのマリアだったということが分かります。この人がイエスの奥さんだったのです」

しかし、「最初の使徒」として初代法王となったのはペテロで、男性だけの教会組織をつくった。この経緯からすれば、イエス本人には、司祭の独身制や女性の排除に何のこだわりもないだろう。

司祭の結婚を認めたり、女性に門戸を開いたりすることで、カトリック教会の組織再生の糸口が見えてくる。

ただ、独身の聖職者は一定の比率で必要ではある。聖職者が家庭を持つと、経済的な問題や子育て、人間関係など負担が重くなるため、独身を保ち、人々の救済に専念する司祭が存在する意義は極めて大きいものがある。

(2)中絶・避妊の禁止によるゆがみ

カトリックは人工妊娠中絶や避妊を「罪」としており、エイズ患者の増加が深刻だ。教えを忠実に守ると、フィリピンのように10代で子供を持つ未婚の母が毎年十数万人も生まれてしまうという問題もあり、貧困層の増大の原因となっている。

カトリックとしては妊娠は神の恩寵だから、中絶や避妊はノーとなるのだが、そもそも聖書に「生まれる前」のことは書かれておらず、カトリック教会も実は「よく分からない」というのが現実だ。

その理由は、カトリック教会が歴史的に霊界思想を排除してきたことにある。

古代・中世ヨーロッパには、転生輪廻思想を持つキリスト教の一派として、グノーシス派やカタリ派などがあった。霊的能力に優れた集団で、生まれ変わりの霊的真相を一部説いていたが、カトリック教会は「異端」として弾圧・殲滅した。しかしこのグループを「天なる父」が指導していたことを大川総裁は明らかにしている。

もしカトリック教会が「生まれる前」についての教えを一部でも受け入れていたら、中絶や避妊などについてもっと寛容なスタンスになっていただろう。

幸福の科学の霊査によれば、人の魂が胎児に宿るのは妊娠9週目ごろだ。このため9週目以降の中絶は、「生命を奪う」行為にあたるので行うべきではない。

それ以前の中絶については、犯罪による妊娠や母体に命の危険がある場合、深刻な経済的事情がある場合など以外は、なるべく避けたほうがいい。

胎児に宿る魂は原則、両親となる男女が生まれてくる前に、霊界で親子になる約束を交わしている。つまり、妊娠は神の意思によって一方的に決まるわけではなく、人間の自由意思も介在している。そのため、カトリック教会が、中絶や避妊を「神の意思に反する」として一律に禁じるのは行き過ぎだ。

もちろん、性の自由化をよしとして中絶や避妊を是としているわけではない。あくまでも目的は、妊娠することによって不幸な境遇に陥らないよう、女性たちを守ることにある。

(3)離婚を認めないことによる不幸

カトリック教会が離婚・再婚を「罪」とすることも様々な混乱を生んでおり、カトリック離れが進む原因となっている。

バチカンのお膝元のイタリアでは、わざわざルーマニアに行って居住権を取って、離婚手続きを進める夫婦が増えている。カトリック教会では、離婚の前に3年間の別居期間が必要だとしており、それを敬遠しているのだ。

カトリック教徒が8割以上を占めるフィリピンには、離婚することは「非合法」で、離婚制度がない。裁判所に「婚姻無効」の申し立てをして、結婚時にさかのぼって「そもそも間違った結婚だった」と認めてもらうという体裁をとる。この裁判は時間も費用もかかるため、「離婚」しないまま、新しい「伴侶」と暮らし始めるケースも多いという。

カトリック教会の論理は「神が導いた結婚だから永遠に別れてはいけない」というものだが、結婚は果たして神の意思なのか、人間の自由意思なのか。

幸福の科学のこれまでの霊界の検証によれば、「人はあの世で人生計画を立ててからこの世に生まれてきており、与えられた環境の中で魂修行をする」というのが人生の真相だ。人は生まれる前に、だれを親とするか、どんな家庭環境か、将来の職業をどうするかなどについて計画している。

結婚相手についても決めているが、もし中絶などで相手が生まることができず、計画が狂った場合は、過去の転生の中で縁があった他の候補者に変更になる場合もあるという。

また、地上での教育や努力によって本人たちの傾向性や精神性が変わってくることもある。その場合は、過去世で縁のあった複数の候補者の中から、最もふさわしい人が結婚相手として引きつけられてくるというのも、結婚の霊的真相だ。

地上で生きている人間の側の事情や努力によっても結婚相手が決まる部分があるため、離婚や再婚が「罪」とは言い難い。

離婚については大川総裁は、法話「離婚・再婚の法」でこう説いている。

「カトリック教会は『神が引き合わせた夫婦を引き離してはならない』という言い方もするわけですが、神様が直接、手錠をかけて離れないようにしたわけではありませんので、夫婦に不幸感覚が強いようでしたら、(結婚について)考え直されて結構かと思います」

また、再婚について大川総裁は、『勇気の法』でこう述べている。

「もし離婚・再婚の経験をすることになってしまっても、どうか、それを深刻に考えすぎないでください。新しいご縁を頂いた相手は、過去世で、実際、自分に縁のあった人であることも多いのです」

こうした観点から見れば、カトリック教会が離婚・再婚を「罪」とすることで、不幸を生み出してしまっている部分がある。

(4)同性愛、同性婚の是非

カトリック教会は、性行為は子孫を残すための行為であるとして、同性愛、同性婚を罪深いものとしている。

フランシスコ法王は、10年前にアルゼンチンで同性婚が合法化された際、「神の計画に対する破壊的攻撃だ」として断固反対を表明した。前法王ベネディクト16世も同性婚について「男女間の結婚を脅かし、正義と平和を損なう」と述べている。

同性愛や同性婚の前提として、性同一性障害がある。大川総裁は、著書『心と体のほんとうの関係。』などで性同一性障害の霊的背景を以下のように明らかにしている。

生まれてくる前に立てる人生計画で、男女どちらの性別が魂修行として望ましいかを本人が判断して選択する。しかし、例えば、両親が本来複数の子供を授かる予定だったところ、一人しか子供を産まなかった場合、生まれてくる人が「女性で生まれるつもりだったのに、男性で生まれてしまった」ということがあり得る。ある種の「計画ミス」で、その際に本人がとるべき態度は二つある。与えられた性別を潔く受け入れて生きるか、納得できず性転換手術などを行うか、だ。同性愛、同性婚も「納得できなかった」場合に入る。

同性婚そのもの是非については、大川総裁は2012年7月の質疑応答でこう述べた。

「私はこの数十年は実験期間だと思っています」「ここ40~50年の間に、天上界からの結論、決断が下されるでしょう」「結論は、人生の終わりに、この世を去る時に出るでしょう。結果は、人それぞれ違うだろうと思います。たとえば、同性愛の人でも、天国に行くこともあれば、地獄に行くこともあると思います。人によると思います」

結局のところ、同性婚の人生を選び、幸福な人生を歩んで、死後、天国に還る人がより多ければ、同性婚は神の目から見て「罪ではない」ということになる。その結論はまだ出ていない。

(5)バチカン銀行と闇社会の癒着

バチカン市国内では1月以降、現金自動預け払い機が停止させられたり、クレジットカード決済ができなくなったりした。ローマ法王庁の資金を管理するバチカン銀行が、マフィアによる資金洗浄に使われている疑いが晴れないためだ。かつてはバチカン銀行改革を表明した法王がその数十日後に急死したり、バチカン銀行がイタリアの政治家への賄賂の経路になったりするなど、闇社会との癒着があまりにひどい。

イエスは「神と富の二つの主人に仕えることはできない」と説いていたので、キリスト教にはお金に関する教えがない。バチカン市国は独立国で、法王が立法・行政・司法の三権をすべて握り、外国の警察権・課税権が及ばない「聖域」だ。宗教が俗界の権力から守られるのは本来の姿だが、前提として、聖職者が世俗の法律以上に厳しく自分たちを律しなければならない。それについて仏教では、「仏法は国法に優越する」と言われている。残念ながらバチカンは、お金の扱いについて自らを律するルールを欠いている。

近代以降は、富や繁栄の思想を入れようとして、カルバンらが宗教改革を行い、プロテスタンティズムが生まれた。しかしカトリックは「中世」にとどまっているところがある。イタリアやフランス、スペイン、ポルトガルなど南欧の国々がユーロ危機の震源地になっているのも、富についての教えがないカトリックの影響が大きい。

繁栄と霊性の両立を

幸福の科学のミッションの一つは、キリスト教も含む「宗教文化のイノベーション」だ。大川総裁は著書『霊界散歩』でこう述べている。

「二千年前、三千年前、あるいは、それ以上前の宗教に基づく、霊界観や、この世での生活様式、文化が数多くあります。そういう古くなったものを、新しいものと入れ替えていき、霊界の刷新と、この世における宗教文化のイノベーションを行い、新しい生活に合った姿に変えていくという、大きな使命を私は持っているのです」

このため総裁は、新しい霊界思想や、富に関する教えが浸透するよう、カトリック教国でも説法を重ねている。

聖フランチェスコは、イエスや天使ばかりか小鳥や魚など生き物とも対話し、中世の貧しい時代にあって霊性を求め続けた。

新法王フランシスコは選出後の初のミサで、「キリストをたたえなければ、単なる慈悲深いNGOになり、もはや教会ではなくなる」と述べた。まさにイエスの本心をどうとらえるかが重要だ。

新法王には、繁栄する現代において霊性を求め、一人でも多くの人を幸福にしてもらいたいと願う次第だ。

(綾織次郎)