(『平和への決断』第3章「日米安保改定をめぐる『決断』」より抜粋・編集。2010年5月23日収録)

現実をリアリスティックに捉えるべき

元首相の鳩山由起夫氏は悪人ではありませんでしたが、彼には、戦後教育の影響により、「戦争イコール悪」という見方で思考が停止している部分はかなりあります。彼が首相だったときには、連立政権の“尻尾”である社民党に、“頭”である民主党が引きずり回されているようなところもあったと思います。

しかし、中国の軍事拡大など、現実にあるものをリアリスティックに考えなくてはいけない面もあるのです。例えば、二〇一〇年三月には、北朝鮮の潜水艦から発射された魚雷で、韓国の哨戒艦が沈められたため、ものすごく揉めましたし、韓国の報復によって戦争が始まる可能性もありました(同年十一月には、北朝鮮による延坪島砲撃事件も起きた)。したがって、「米軍基地は要らない」などと言っていることの虚しさを知らなくてはなりません。そういう「机上の空論」の平和論は通じないのです。

魚雷を撃って敵国の船を沈める国が、今、現にあるわけです。ミサイルも撃てば魚雷も撃つ国が現にあり、魚雷を撃ちながら、「自分たちは、やっていない」と平気で言える国があるのです。

今、日本には、国防を考えなくてはいけない時期が来ています。こうした状況にあって、情緒的な判断ばかりしていては、国家の指導者として十分ではありません。「サンゴを守る」「ジュゴンを守る」などと言っているだけでは、国民を守れないのです。

二〇一〇年一月、当時の鳩山首相は国会で施政方針演説を行い、「命を守りたい」と述べましたが、本当に人間の命を守るつもりがあるのでしょうか。そういう意味では問題があります。

「地方分権」の危険性

また、「地方分権」「地域主権」という主張がかなり出てきていますが、会社などの「分権」や「分社経営」とは違い、国家の場合には、地方分権にすればよいわけではないことが、普天間基地の問題等で、よく分かったはずです。

この論点は、まだ、誰も、はっきりとは指摘していないと思われます。

地域主権だったならば、普天間基地の問題はどうなるでしょうか。“沖縄主権”で、「沖縄県に主権がある」ということであれば、県レベルで国家間の条約を反故にできてしまうのです。

「こういう大きな問題は、やはり、中央集権的な考え方でなければ乗り切れない」ということが、よく分かったと思います。

したがって、安易な地方分権論や地域主権論には乗れません。それは責任の放棄にしかすぎないことが多いのです。結局、「なかなか税金が集まらないので、地方は自分たちで勝手にやってくれ」と言っているにしかすぎません。

これが、もう一つの盲点として、次に出てきます。これを認識しておくことが大事です。

平和への決断―国防なくして繁栄なし
大川隆法著
幸福実現党出版刊
1,575円(税込)

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