ジェームズ・アレン(1864~1912年)は、生前20冊近くの書物を著し、特に名著『原因と結果の法則』は、デール・カーネギーやノーマン・ビンセント・ピール、ナポレオン・ヒルなどに強い影響を与え、20世紀アメリカの成功哲学の源流となった。

そんなアレンの過去世が、中世のイタリアで活躍した聖フランチェスコだったことを、本誌3月号「ジェームズ・アレンの過去世 聖フランチェスコは現代英国に転生していた」で紹介した。

本欄では2回にわたり、アレンの人生と成功哲学について紹介していきたい。今回は、その前編。

工場15時間労働でも本を読むことを続け、釈尊伝『アジアの光』に出会う

アレンの生涯の概略は、『ヘラルド・オブ・スター』誌の1916年3月号の記事に詳しい("Herald of the Star March 1916" James Allen: a Prophet of Meditation)。「瞑想の預言者」と題されたこの記事を見ると、若き日のアレンがどれほど刻苦勉励したのかが見えてくる。

アレンは1864年11月28日、イギリス中部のレスター市で生まれた。

製造業の経営者をしていた父は、アレンが15歳になる頃に倒産してしまう。わずかなお金を持って妻と家族のために、アメリカで富を築こうとしたが、渡米2日後に強盗に襲われ、ニューヨークの病院で亡くなる。

15歳のアレンは、父の遺品として空の財布と古い銀の懐中時計だけを受け取り、故郷で母と二人の弟を養わなければいけなくなる。

当時のアレンは工場で一日15時間働く日々が続いても、本を読むことを決して諦めなかった。17歳のアレンは、シェイクスピア作品を熱心に読みふけった。

「私はシェイクスピアを朝早く、朝食時、昼食時、そして夕方に読んだ」──のちにアレン婦人はそう聞いた。始業前と昼の休憩、夕方の休憩や終業後に戯曲を読んでいたようだ。

その集中力は、何百人もの労働者がいる工場で、機械の轟音と鈍い音に包まれていても、作品の世界に没頭できるほどだった。最後には戯曲全体を暗唱できるようになった。

その次に、エマソンの『随筆集』に感化された。その中にある「自己信頼」と題された随筆から行動の重要性と人格の価値・尊厳を学んだ。臆病な心と戦い、自発性と独創性を身につけることを決意した。

そして、24歳の時に運命を変える一書に出会う。それがイギリスの貴族エドウィン・アーノルドが著した釈尊伝『アジアの光』だった。