全国公開中
《本記事のポイント》
- 地獄世界を舞台とした復讐劇
- 地獄霊救済に赴く菩薩や天使たち
- 希望の未来を創造する"縁起"の考え方
「竜とそばかすの姫」などで国内外から高く評価されるアニメーション映画監督・細田守監督が、シェークスピアの「ハムレット」とダンテ「神曲」を下敷きにして創作した、愛の奇跡による地獄界脱出ファンタジーである。
父を殺して王位を奪った叔父クローディアスへの復讐に失敗した16世紀デンマークの王女スカーレットは、「死者の国」で目を覚ます。そこは、略奪と暴力がはびこり、力のなき者や傷ついた者は虚無となって存在が消えてしまう世界だった。この地にクローディアスもいることを知ったスカーレットは、改めて復讐を誓う。
そんな中、彼女は現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。戦いを望まず、敵味方の区別なく誰にでも優しく接する聖の人柄に触れ、スカーレットの心は徐々に和らいでいく。一方で、クローディアスは死者の国で誰もが夢見る「見果てぬ場所」を見つけ出し、我がものにしようともくろんでいた。
声の出演は、主人公スカーレット役を芦田愛菜、聖役を岡田将生が担当。スカーレットの宿敵で冷酷非道なクローディアス役を、役所広司が演じる。
地獄世界を舞台とした復讐劇
この映画の特徴は、ほぼ全編が「死者の国」と呼ばれる地獄を舞台としている点だ。映画の冒頭では、自然にできた岩のアーチに、イタリア語の落書き『Lasciate ogne speranza, voi chintrate (cancello dellinferno)/この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ(地獄の門)』が刻まれているなど、ダンテの神曲の地獄編を意識した作りになっている。
荒涼とした中東の砂漠地帯を思わせる風景は、さながら焦熱地獄を彷彿とさせるが、大川隆法・幸福の科学総裁によると、地獄界には砂漠地帯のような場所が実際に存在するという。
「ある時、キリスト教の軍隊とイスラム教の軍隊が、砂漠地帯で戦うのを見た。十字軍戦争だ。
熱砂の擂り鉢に、両軍吸い込まれた。空に、三十メートルもある翼竜が現われて、口から炎を吹きつけると、両軍の兵士とも黒焦げになった」(『地獄に堕ちないための言葉』より)
映画では、十字軍を始め、さまざまな時代に戦いを繰り広げた兵士たちが入り乱れて戦うシーンがリアルに描かれている。
ただ、興味深いのは、本作品には地獄を描いた日本のアニメにありがちな、おどろおどろしい怪物や魔物、悪鬼・妖怪の類が、一切登場しないことだ。
大川総裁は前掲書の中で「自分の心が、現象化したものが、地獄だ」として指摘しているが、映画で描かれた、どこまでも果てしなく続く灼熱の砂漠は、復讐心に燃え、自分の父親を殺した憎き敵から命を奪うことだけに凝り固まったスカーレットの殺伐とした心象風景でもあるのだろう。
ちなみに、この映画では、いかにして復讐心を乗り越えるかがテーマとなり、その舞台としてダンテの神曲をモチーフとした地獄が描かれているが、ここには少し問題のあることが、大川隆法総裁の『小説 地獄和尚』の主人公によって指摘されているので紹介しておきたい。
「キリスト教でも、ダンテなる人が『神曲』という古典で、(仏教のお釈迦様〔たぶん「煉獄」〕も、)イスラム教のムハンマド(マホメット)、アリーも、地獄の底で、頭を割られて、罪人みたいになっているように描かれているそうだが、とんでもないバチ当りじゃ。ほかの宗教は皆地獄往きでキリスト教以外では救われん、などと言っているから、この二千年、侵略と戦争に終わりがない」
また大川総裁も同書の著者注にて、「ダンテもキリスト教世界に天国、煉獄、地獄を伝えたことは評価されているが、諸宗教への理解の狭さは問題だろう」と指摘している。
また、映画の中では、死者の国で命を失うと、肉体が消滅して虚無になるとされているが、これも誤りである。魂としての人間は永遠の生命を与えられており、「地獄とは、霊界における病院なのである。そこにいる患者たちは魂が病んでいるのである」(『原説・『愛の発展段階説』』より)というのが真実である。
地獄霊救済に赴く菩薩や天使たち
復讐相手を求めて、地獄の砂漠をさまようスカーレットのもとに、現代日本からやってきた看護師・聖が現れるところから、彼女の運命の歯車が回り始める。
聖は、傷つく者や苦しむ者に、自らを顧みず救いの手を差し伸べる観音菩薩のような存在だ。最初は聖を偽善者扱いしていたスカーレットだが、裏表のない彼の行動に、次第に心を開き始める。
そして、夜を明かす薪の前で、聖が口ずさむ現代日本の流行歌「祝祭のうた」を耳にするうち、スカーレットに奇跡が臨むシーンは圧巻だ。
スカーレットの意識は、神秘的な力によって地獄界を抜け出し、聖が生きていた現代日本の渋谷スクランブル交差点に辿り着くのだ。そこでは、国籍や人種の違うさまざまな人々が歌い踊るフェスティバルが行われている。
驚愕するスカーレットは、人々や聖とともに楽しげに歌い踊る、もう1人の自分を発見する。自分とはまるで別の人生を生きている自分。これまで追い求めてきた復讐の旅とは、完全に無縁な自分。かつては想像もしなかった、自分とは別の自分の可能性を目の当たりにして、スカーレットは激しく動揺する。
それは、復讐という選択肢を捨てることで、もっと別の未来があり得ることを示す神秘的な力のなせる技である。
地獄では、天国から派遣されている菩薩・天使たちも、苦しむ人々を救済する目的で活動しているのだという。
「何かのミッションがはっきりある場合は、天使もある程度、軍団を組んで行く場合もありますけどね。
まだ人間的な気持ちで住んでるぐらいの浅い所の地獄の場合は、時期が来たら、諭しに行ったりすることは可能です」(『映画「ドラゴン・ハート―霊界探訪記―」原作集』第3章 芥川龍之介の霊言(2)「芥川龍之介による地獄界探訪記」より)
映画でははっきりと説明されていないが、スカーレットに寄り添う聖の存在は、過って闇に堕ちた元天使を救済すべく、地獄に赴いた光の存在であるかのように思われる。それは、何度失敗しても、その立ち直りと新生を願って止まない人類の父たる存在を、証すものでもあるだろう。
希望の未来を創造する縁起の考え方
映画の最後は、地上に戻ることになったスカーレットが、デンマーク王女として模範的な政治を行い、人類の未来を変えることを誓うことで幕を閉じる。
恨み心を乗り越え、無償の愛に目覚めることで、自分の運命のみならず、他の人々や人類の未来をも変えることができるという考え方は、仏教で言うところの"縁起"の思想に他ならない。未来に希望をもたらす縁起の考え方について、大川総裁は次のように語っている。
現在のあなたがたが今あるは、
今、忽然としてあるわけではあるまい。
過去あって現在があり、
現在ありて未来がある。
すべて、「因」があって「果」がある。
そのなかに、また「縁」というものもある。
「因・縁・果」――この三つが、
あなたがたの人生の流れを、
人類の歴史を、つくっているのである。
人生は変えていくことができる。
宿命論や運命論、あるいは偶然論は、
正しい考え方ではない。
あなたがたの心で、行ないで、
日々、決定しているものが、
明日のあなたをつくるのだ。
明日の人生をつくるのだ。
明日の世界をつくるのだ。
そのことを知らなくてはならない。
(『大川隆法 東京ドーム講演集』第4章 悟りの時代 より)
復讐心に囚われ、地獄の中をさまよっていたスカーレットが、愛の奇跡によって、新しく希望に満ちた人生を踏み出すまでを描いたこの映画は、憎しみを捨て希望の未来を選び取る、我々に課せられた責務について考えるヒントともなるだろう。
『果てしなきスカーレット』
- 【公開日】
- 全国公開中
- 【スタッフ】
- 監督・脚本:細田守:
- 【キャスト】
- 出演:芦田愛菜 ほか
- 【配給等】
- 配給:東宝
- 【その他】
- 2025年製作 | 111分 | 日本
公式サイト https://scarlet-movie.jp/
【関連書籍】
いずれも 大川隆法著 幸福の科学出版




























