2026年1月号記事

ベートーヴェンと「インドの悟り」、
そして「造物主」への祈り

苦悩を超えて歓喜に至る旅路の中で、天才音楽家が垣間見た「父なる神」の光を探る。

ベートーヴェンの第九交響曲「合唱つき」は、1918年の徳島県での初演以来、日本で広く愛され、年末に各地で演奏されるようになった。

聴力喪失という音楽家にとって最大の試練を越えた人生とその作品は、長らく日本人の心をつかみ続けている。

例えば詩人の宮沢賢治はピアノソナタ「月光」と第五交響曲「運命」を初めて聴いた時、「この大空からいちめんに降りそそぐ億千の光の征矢はどうだ」と感嘆し、その境地を「最後の目標」として詩集『春と修羅』を書き始めた。

その音楽を聴いて、神の存在を感じ取り、人生の苦難に立ち向かう勇気を取り戻した人々は数知れない。心の闇を打ち砕き、希望を灯す、その「光の征矢」の由来はどこにあるのだろうか。

実は、その謎が、大川隆法・幸福の科学総裁を通したベートーヴェンの霊言で明かされている(*1)。

私は、さまざまな曲のなかに、さまざまな細工をしているのです。それは、あるときは神の国の栄光であったり、あるときは人間が生きていく上での法であったりするわけです

神の御心が曲の中に織り込まれているからこそ、その調べは人の心を揺さぶるものとなる。霊言で、海難を超え、失明してまでも日本に仏法を伝えた高僧・鑑真を例にとり、「私の人生は苦行僧のような人生であった」と回顧したように、その歩みは、苦しみの泥沼に悟りの花を咲かせる営みでもあった。

実は、ベートーヴェンは生前にインド哲学を学んでいた。本記事では、そこを手がかりに知られざる一面を紹介し、秘められた「悟り」を探ってみたい。

(*1)『大川隆法霊言全集第39巻「ベートーべンの霊言』(幸福の科学刊)以下、霊言の出典は同じ。

 
次ページからのポイント(有料記事)

聴力喪失の試練

苦しみに克つ「インドの悟り」

フリーメイソンと第九交響曲の接点

宗教の違いを超え造物主の御心を探る