相撲は神事である──。
スポーツや格闘技というカテゴリーに括られがちだが、そうしたものとは一線を画する。
本誌2025年12月号「『天御祖神の武士道』を体現した三人の力士」では、相撲の起源や、相撲に流れる武士道精神について探究した。
本欄では、「千代の富士」のアナザーストーリーに続いて、本誌で紹介しきれなかった、「北の湖」(1953~2015年)の、「憎らしいほどの強さ」の奥に秘めた、相撲道に迫る。
「負けた後、手を差し伸べられたら自分は恥ずかしく感じる」
「強くなければ、優しくなれない」という精神は、北の湖の人生にも貫かれている。
北の湖は1985年の引退後、その功績が認められ、本人一代限りで年寄(親方)として認められる「一代年寄」となり、現役時代の四股名を冠した「北の湖部屋」を創設。後進の育成に務め、日本相撲協会の理事長をも歴任した。
現役時代、倒した相手を助けず、相手に背を向けて勝ち名乗りを受ける姿が「憎らしいほど強い」と評されても、信念を貫いた姿勢には、世間の様々な批判に動じない性格が端的に現れている。
現役時代に、その理由を聞かれた時、北の湖は「自分が負けた時に相手から手を貸されるのは、私なら屈辱に感じます。だから、自分も手を貸すことはしません」と答えていた。
国民に真意が伝わらず、「負けろ」という声が飛び交っていると言われても、「横綱は頑張れと言われたらおしまいですから。『負けろ』なんて言葉は、最高のエールです」と潔く返すところに、相撲一筋に打ち込む姿勢が端的に現れている(STVラジオ編『ほっかいどう百年物語 上巻』中西出版株式会社)。
力士たちは皆、それが北の湖なりの配慮だということを知っていたので、マスコミや一般的な風評とは裏腹に、角界での信望は厚く、それが、後に相撲協会で要職に推薦される要因ともなった。
北の湖のもとで育てられたジョージア出身の小結・臥牙丸(ががまる)は、北の湖が急逝した時、次のようにその人柄を偲んでいた。























