5月23日公開の映画『ドラゴン・ハート─霊界探訪記─』(製作総指揮・原作 大川隆法)。この映画製作の参考として、大川隆法・幸福の科学総裁は2019年、芥川龍之介の霊言を収録し、「霊界の秘密」を語らせた。

そんな芥川は生前、「神への愛」を十分に知り尽くした人物だったことは、「人物伝 芥川龍之介 アナザーストーリー(前編)──数学者・岡潔が気づいた芥川の偉大さとは──『神への愛』を十分に知り尽くした人」で紹介した。

今回の後編では、芥川が「創造性」の扉を開くことによって、川端康成や岡潔といった後代の偉大な文学者、数学者に大きな影響を与えた点について紹介する。

川端が、芥川に見たあらゆる芸術の極意、「末後の眼」

芥川の作品は、後代の文学者に大きな影響を与えた、その中で、とりわけ、求道者のように「美」を求め続けたのは、川端康成である。

川端康成は、芥川の手紙に書かれた「末後の眼」という言葉に着目し、芥川が最後に見た「美の世界」について想いを馳せている(芥川は35歳の時、自然が美しいのは、それが「僕の末後の眼に映るからである」と記した)。

「修行僧の『氷のように透み渡った』世界には、線香の燃える音が家の焼けるように聞こえ、その灰の落ちる音が落雷のように聞えたところで、それはまことであろう。あらゆる芸術の極意は、この『末後の眼』であろう」(「末後の眼」)

川端は、芥川が最後に、常人には見えない「美の世界」に迫ったことを推察し、自分は35歳を過ぎても、十分な仕事を遺せていないと我が身を恥じている。

「いつしか芥川氏の死の年に近づき、愕然として故人を見直せば、わが口を縫はねばなるまい」(前掲書)

その後、川端は46歳の頃、日本の敗戦に直面する。当時、空襲が続く最中に夜番をし、鎌倉の小山で月を眺めていた。その瞬間、「古い日本が私を流れて通った」のを感じ、「私の生命は自分一人のものではない。日本の美の伝統のために生きようと考えた」のだった(「天授の子」)。

「永遠なるもの」を垣間見る経験を経て、川端もまた、芥川と同じように、美に殉じる道を歩んでゆく。