メジャー4年目の2004年、イチローにとって苦しいシーズンとなった。
(本欄は、全2回のうちの後編。前編は「人物伝 イチロー アナザーストーリー(前編)
「ボールの縫い目が見える」ゆえの驚くべきスランプの原因 そして、その乗り越え方」)
4月、マリナーズの成績は8勝15敗で、イチローの打率も.255と低迷。マスコミからは、チームの不振の戦犯はイチローとされ、叩かれた。
だが、5月に入ると、イチローは本来の自分を取り戻し、21日に日米通算2000安打を達成。21日間の月間打率は.427で、20試合連続出塁も記録。この月には、月間50安打というピート・ローズに次ぐ記録をも打ち立てた。しかし、チームは11勝16敗。低迷の原因は、主力選手の高齢化、投手陣の弱体化、新しい選手が期待外れだったことなどが様々に挙げられるようになった。
自分の力ではどうすることもできない部分が大きかったが、当時のイチローはこう語っている。
「チームの調子が悪いときは……」「なおさら活躍しようという意欲を持たなければならない。それが僕の目指しているところです」(ボブ・シャーウィン著『ICHIRO 2 ジョージ・シスラーを越えて』)
「やっぱり、一流と、二流や一・五流を分けるところの差は、そこじゃないかな」
この年、低迷するチームに幻滅していたマリナーズファンは、イチローの活躍だけを楽しみにしていた。
大川隆法・幸福の科学総裁による霊言で、イチローの守護霊は、ファンへの思いを次のように話している。
「やっぱり、責任感って言うか、『観客を喜ばしたい気持ち』みたいなものが結びついているところがあるね。
自分の技に集中はしているんだけれども、同時に、『チームを勝たせたい』という責任感があるし、『ここ一番』のところでチームを勝たせることで、観客を喜ばせることができて、お金を払って来てくださった方々が、『今日の試合はよかった』と言って帰ってくれるのが、プロとしての喜びなんだよ。『あの一番でイチローが打てなかったのは残念だよな』と、みんなに言われたら、思い返しても悔しくて悔しくてしかたがないのでね。
やっぱり、一流と、二流や一・五流を分けるところの差は、そこじゃないかな」(『天才打者イチロー4000本ヒットの秘密』)
2004年、チームが63勝99敗で地区最下位と低迷する中、イチローは歴代シーズン最多安打262、最高打率.372を記録した。
「自分に厳しくしなかったら"腐敗"しますよ。堕落しますよ」
当時、シアトルタイムズのコラムニストは、2004年8月にこう書いた。
「チームが最下位に甘んじているシーズンの残骸に埋もれながら、イチローはひそやかに、歴史に向かって驚くべき前進を続けている。今シーズンの残り48試合をこのままのペースで打ち続ければ、ジョージ・シスラーの年間最多安打記録257に届くのだ」(『ICHIRO 2 ジョージ・シスラーを越えて』)
84年ぶりに、ジョージ・シスラーが打ち立てた年間最多安打の壁を突破できるか否か、というファンの期待が、重いプレッシャーとしてのしかかってくる。
10月1日、シスラーの記録を突破し、シーズンが終わった時点で262安打を達成。イチローは当時、このように語っている。