数々の偉業を成し遂げ、野球界の「常識」を破壊し続けている大谷翔平選手。

本誌12月号記事「大谷翔平とイチロー 日本発の『天才』の比較」では、「超一流選手は、努力の天才」である、という観点から、その活躍の原動力である精神性に注目。

本欄の前編「人物伝 大谷翔平 アナザーストーリー(前編) 『彼のなかに、「全力を尽くさない野球」はない』 その姿に周囲の人々が協力したくなる」では、少年時代から「全力疾走」を続ける大谷の姿に、周囲の人々が積極的に協力してきたこと、そして、その根源には、「思想・考え」があることを紹介した。

今回の後編では、時間に耐え、努力を続け、身近な成功から大きな成功へと発展させていった大谷の姿から人生を切り拓くヒントに迫る。

「天才」のイメージがつきまとうが、時間を耐えて努力した期間も長い

「常識破壊」を続ける大谷は、何でも簡単に物事を成し遂げているように感じる人もいるかもしれない。

しかし、二刀流が成功するまでには、日本でもアメリカでも、一定の時間を必要とした。

日本のプロ野球で投手として活躍し始めたのは入団2年目以降であり、打者として本格的に実績を伸ばしたのは4年目以降だった。メジャーリーグでは入団1年目の2018年に新人王に輝いたものの、本格的に二刀流で活躍したのは2022年、23年だった。

大谷には「天才」というイメージがつきまとうが、時間を耐えて努力した期間も長いのである。

もともとは高校卒業前にメジャー入りを希望していたが、日本ハムファイターズのスカウト部長である大渕隆氏と栗山監督に説得され、まずは日本で実力を磨くことに決めた。

大渕氏は、アメリカでマイナーからメジャー入りを目指す大谷と同年代の日本や韓国の選手の成功率など、様々な情報をまとめた資料を見せた。その時、特に強い印象を与えたのは「急がば回れ」という言葉であったという。

昔、琵琶湖では、船で物を運び、風や波で転覆することが多かった。そのため、琵琶湖の淵をぐるりと回って歩いた方が確実に目的地につく──琵琶湖の画像を見せ、ことわざの由来を説明しながら、日本のプロ野球を経て希望を実現する道を語ったのだ。

栗山監督は、その折に、投打の「二刀流」という可能性を初めて提示した。