《ニュース》

著名な米保守系ジャーナリストであるタッカー・カールソン氏は、6日にロシアのクレムリン(大統領府)でプーチン露大統領に単独インタビューし、その内容をX(旧ツイッター)上に公開しました(本記事は、9日付本欄の続編です)。

《詳細》

カールソン氏はインタビュー映像に入る前、プーチン氏が最初の質問への答えとして、8世紀にさかのぼってロシアの歴史を30分ほど話し続けたと指摘。カールソン氏は、プーチン氏が「ロシアはウクライナ西部の一部への歴史的な領有権を持っている」と信じており、(歴史講義は)その考えを真摯に表現したものだと捉えていると、述べています。

プーチン氏が語ったロシアの歴史の中で、重要なことの1つが「宗教」に関するものでした。

プーチン氏によると、862年、ノルマン人のリューリク王子の統治のもと、ノヴゴロド(現在のロシア北西部)にロシア国家が誕生し、882年、リューリクの後継者であるオレグ王子が、キエフにやってきました。ロシア国家は、キエフとノヴゴロドという2つの中心地で発展し始めたのです。988年、リューリクのひ孫であるウラジーミル王子が、正教(東方キリスト教)の洗礼を受け、周りや地域の人々にも洗礼を授けていきました。そして長い年月をかけて、「正教はロシア国民の意識に深く根を下ろした」というのです。

このころから中央集権的なロシア国家が強化され始めました。それは「単一の領土のため、統合された経済関係のため、1つの同じ言語のため。そしてロシアの洗礼を受け、同じ信仰を持ち、王子の統治を受けた後、中央集権的なロシア国家が形づくられ始めた」といいます。

またプーチン氏は、1922年にソ連が成立するとそれまで存在しなかったウクライナ・ソビエト社会主義共和国が樹立されたことや、1991年にソ連が崩壊したことについて触れ、こう述べました。

「当時の指導者は、ロシアとウクライナの関係の根本は、共通言語であると信じていたと思います。人口の90%以上がロシア語を話しました。また家族の絆、そこにいる3人に1人は何らかの家族や友情の絆を持っていました。共通の歴史、最後に、共通の信仰、何世紀にもわたる単一の国家との共存、そして深く相互でつながった経済。これらはすべてとても基本的なことで、これらすべての要素が組み合わさって、私たちの良好な関係は必然のものとなります」

そしてプーチン氏はインタビューの最後に、「なぜウクライナ当局は、ウクライナ正教会を解体しようとしているのでしょうか」という重要かつ宗教的な問いを、自ら投げかけました。

そして、「それは領土だけを結びつけるものではないからです。それは私たちの魂をも1つにするからです。いかなる人も魂を引き離すことはできません」と静かに答えたのです。

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