江戸後期に「大塩平八郎の乱」を起こしたことで知られる、大塩平八郎。
大阪奉行所与力(今でいう警部)の子供として生まれ、自身も与力として働いたが、独学で陽明学を修め、30歳を過ぎるころに「洗心洞」という私塾を開いた。「天保の飢饉」が起きた時に民の窮状をお上に訴えたが、救済の嘆願は受け入れられず。1837年に民衆と共に蜂起したものの、失敗して自害した。
「大塩平八郎の乱」、そして大塩平八郎を、果たしてどのように評価すべきなのか。
12日付本欄で紹介した「江戸の中央閻魔大王の霊言」が収録された際、江戸の中央閻魔大王は、大塩平八郎について「生きているうちに、死んだ後のお祓いをしてやった」「わしは犯罪人とは思っていない」と発言していた。
それを受け、大川隆法・幸福の科学総裁は5日、「大塩平八郎の霊言(1)」を収録。その後に続けて、「大塩平八郎の霊言(2)/江戸の中央閻魔大王の霊言(2)」を収録している。
大塩平八郎の乱は「大阪が日本の中心」だから起こした
大塩平八郎の霊は、自身の行動により、陽明学派の人々に火が付き、「不正を見ては立ち上がる」といった機運が、明治維新に繋がっていったのではないかと認識していた。また現在、日本維新の会に「インスピレーションは投げている」とし、「わしがやった革命で、首切られんようにやるやり方を今、考えとる」と、深い関係があることをうかがわせた。
次いで収録された「大塩平八郎の霊言(2)」では、自身の現在の転生について言及。「大阪が日本の中心だから」として、自身が起こした乱の目的について「皇室を京都御所に呼び戻し、大阪を商都とする」ことであり、「江戸への反発心があった」と語った。
明治維新への貢献において「陽明学は藁の一本ぐらい」
総括のため、「江戸の中央閻魔大王の霊言(2)」を収録。江戸の中央閻魔大王は、大塩平八郎について「不平不満分子」であり、「首都の取り返し運動」でしかないと指摘した。
また、「陽明学で明治維新が起きた」という認識も間違いであるとして、蘭学やアメリカ、イギリスの学問が日本国内に入り、西洋化する流れで起きていて、「陽明学なんていうのは、その中の藁の一本ぐらい」だとし、大塩平八郎については「幕府を倒す遺伝子をちょっと遺しといたろうと思って、仕込ましといたけどな、それだけのことや」と言及した。
その他にも、さまざまな角度から大塩平八郎や明治維新の本質を考察するとともに、「大阪都構想」の背景にある思想が伺えるなど、示唆に富む霊言となった。
本霊言では、以下のようなさまざまな論点について述べられた。
【大塩平八郎の霊言】
- 徳川幕府に対して、どのような思いを抱いていたのか
- 富士山に自身の著作を「埋めた」理由とは
- 脱炭素を進めたら、「ズルっこしたところだけがうまい汁を吸える」!
- お金を刷りまくるだけでは、次は●●が来る……!
【江戸の中央閻魔大王の霊言】
- 大塩平八郎の乱と天草四郎の乱とでは何が違うのか
- 「陽明学」の本質はどこにあるのか
- 「討幕派」「佐幕派」をどう見ているか
ここに紹介したのは霊言のごく一部です。
詳しくは幸福の科学の施設で、ぜひご覧ください(下記参照)。
・幸福の科学サービスセンター Tel:03-5793-1727
火~金/10:00~20:00 土日祝(月曜を除く)/10:00~18:00
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