2021年1月号記事
地域シリーズ 愛知
降魔成道からの発展・繁栄をめざして
大川隆法・幸福の科学総裁が商社マン時代に赴任した愛知県は、
『日蓮の霊言』をはじめ数冊の霊言が発刊され、降魔成道を果たした地である。
(編集部 駒井春香、飯田知世)
大川総裁が名古屋時代を過ごした社員寮は現在、幸福の科学の精舎「名古屋記念館」となっている。
名古屋・降魔成道
大川隆法総裁が悪魔からの攻撃に
打ち克った名古屋の地
大川隆法・幸福の科学総裁は天上界からの霊示を受け、1981年に大悟。その後は日蓮やイエス・キリスト、釈尊などさまざまな高級霊からの霊界通信を受けつつ、日中は大手総合商社でエリート商社マンとして働いていた。
ニューヨーク本社勤務などを経て、84年、大川総裁は社内の幹部養成コースの一環として、名古屋支社へと異動。このころ、霊言を書籍化する話が進み、85年には初の霊言集『日蓮聖人の霊言』(後に『日蓮の霊言』に改題)を発刊する。『空海の霊言』『キリストの霊言』など次々と発刊し、読者からの反響は次第に大きくなっていった。
その年の12月、大川総裁に悪魔の攻撃が襲い掛かる。
歴史上、名のある宗教家のほとんどは悪魔との対決を行っている。釈尊の降魔成道の時の悪魔の挑戦や、イエスが荒野で40日修行した際のベルゼベフの挑戦などが有名だが、名古屋の社員寮で、大川総裁はそれを上回る、悪魔の総攻撃を受けた。
記念館は12月8日の降魔成道記念日に「降魔成道館」として落慶予定(パース図)。
「ほんとうに救世主の使命を持っていると思うか?」
当時、大川総裁の実家の事業がうまくいっておらず、また未来を嘱望してくれている商社を辞めることへの迷いもあった。
仕事を辞めて宗教を起こすとなれば、資金も必要となる。さまざまな「この世的」な悩み・迷いのところに、悪魔が攻撃を仕掛けてきたのだ。
大川総裁は後年、当時について、このように語っている。
「その後の三十年間は、それだけの厳しい攻撃を受けたことはありません。その厳しいときは一週間ぐらいで、特にそのなかの三日ぐらいが、一番厳しかったと思います。
ずっと眠れない状況で、いわゆる『サタンのなかのサタン』というようなものが、締め上げてくるのです。ギュンギュンと万力で頭を締め上げるような感じでくるので、潜水艦が沈みすぎて、水圧で潰れそうな感じでしょうか」
悪魔が狙ってきたのは、自己認識の部分だった。
「自分がほんとうに救世主の使命を持っていると思うか。ほんとうに仏陀だと思うか。本や原稿には、そう書いてあるけれども、ほんとうに自分でもそう思うか」─。
かすかな疑いの気持ちを攻撃され、「ほんとうに使命を信じ切れるかどうか」という、苦しい戦いを続けた。
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