愛媛県の松山刑務所大井造船作業場は、掲載画像のような塀がない刑務所として知られ、海外でも注目されている。
《本記事のポイント》
- 平尾受刑者が脱走したのは、再入率が極めて低い優れた刑務所
- 施設をつくったのは、「四国の大将」と評される著名な実業家
- 出所受刑者の社会復帰を、就労によって支援する企業が増えている
平尾龍磨受刑者が脱走したことで注目を集めた、「塀のない刑務所」と言われる愛媛県の松山刑務所大井造船作業場。同作業場は、出所した受刑者が再び収容される「再入率」(2011~16年)が6.9%であり、全国平均の41.4%を下回る優れた施設として知られる。
同作業場は、初犯かつ、生活態度が良好などの模範囚が収容され、周囲をさえぎる塀がなく、常時監視もされない。受刑者は寮で生活し、一般の造船作業員と一緒に仕事をこなし、休日には神社や海岸、駅などの地域の清掃活動を行う。
そうした開放的な刑務所は、北海道の網走刑務所二見ケ岡農場、千葉県の市原刑務所など全国に4カ所ある。
「昭和の再建王」が、受刑者の人生も再建させる
松山刑務所大井造船作業場は、「四国の大将」「昭和の再建王」などの異名をとる著名な実業家、坪内寿夫(つぼうち・ひさお)が1961年に、自ら所有していた造船所内に開設したことが始まりだ。
坪内は、来島グループを中心に180社を超える企業群をつくり、佐世保重工業の経営を再建。徹底的なコストダウンと、時間厳守の労働、管理職の現場への再配置などの合理的な経営を追及するだけでなく、自らも率先垂範し、質素倹約に励み、巨大グループを一代で築き上げた。
そんな坪内が作業場を開設したきっかけは、終戦後、過酷な労働を強いられ、生死をさまよった「シベリア抑留」を経験したことにある。「人は仕事の達成感や充実感によって更生できる」と信じ、社会復帰の支援活動に熱心だった。
坪内は、「わしが一番に誇れる仕事は会社の再建やない。更生保護事業じゃ」「金もいらん、名誉もいらん、わしがあの世に行く時は、手紙で一杯になっている段ボール箱一つ担いでいくんだ」などと語り、受刑者から届く感謝の手紙を大事そうにしていたという。
坪内が、傾いた会社を再建させてきたのも、従業員を路頭に迷わせたくなかったため。坪内の目には、受刑者も同じ境遇にあると映っていたのだろう。
全国78社が元受刑者に手を差し伸べる
就労を通じて、出所受刑者の更生・社会復帰につなげる動きは、日本財団が手掛ける「職親プロジェクト」がある。現在、社会貢献の一環として、全国78社が少年院や刑務所を出た受刑者に、就労や住居、人間関係づくりの機会を提供しており、協力する企業も増えている。
心ある人たちが、元受刑者に手を差し伸べることで、再犯率は下がり、社会に秩序を取り戻すことができる。今回、松山刑務所大井造船作業場は脱走によって注目されたが、同施設が生み出しているプラスの面も注目されるべきであろう。
(山本慧)
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