7月の都議選では、小池都知事が率いる「都民ファーストの会」が大躍進しました。

都議会で第一党となったことを受け、小池氏は都議選後に「都民ファーストの会」の代表を辞任。夏に政治塾「希望の塾」を再開し、区市町村長の選挙などに候補を擁立していく方針を明らかにしています。

都議選後、小池氏と共に自民党を離党した若狭勝衆院議員は、「年内に国政政党への動きが出てくることは十分にあり得る」と、自民党の対抗勢力を目指す考えを示しています。

一方の自民党は、都議選で23議席と、過半数を大幅に割り込み、歴史的な大敗北を喫しました。

自民党大敗の理由として、「森友学園」や「加計学園」の問題で安倍首相の説明が不十分だったこと、稲田防衛相の不適切な発言など、自民党政治の「おごり」に嫌気が差したことなどが指摘されています。

しかし、この問題はもう少し、時間を巻き戻して考えてみる必要があるのではないでしょうか。今回の自民の大敗も、都民ファーストの大勝も、もとはと言えば、舛添要一・前都知事がマスコミの激しいバッシングを受け、任期の途中で辞任したことに始まります。

本欄では、舛添都知事辞任以降のマスコミ報道を振り返ってみます。