《本記事のポイント》
- お坊さんを対象とした経営塾が話題を呼んでいる。
- 信仰心や伝道の思いがなければ、経営知識は虚しいものとなる。
- 今、仏教界に信仰心が問われている。
「お坊さん」対象の経営塾が話題を呼んでいる。一般社団法人「お寺の未来」による「未来の住職塾」で、2012年以来、東京や大阪、名古屋、京都などで開催している。これまで30近い宗派から約420人が参加しているという。22日付朝日新聞が報じた。
浄土真宗本願寺派の僧侶、松本紹圭(しょうけい)氏が理事と塾長を、代表理事の井出悦郎氏が講師を務め、1年かけてマーケティングや経営戦略、ケーススタディなどを学ぶ。
同紙によれば、授業を受けたある塾生は、趣味であるガンダムのプラモデルづくりを生かし、ネット上にバーチャル寺院「願陀無(がんだむ)寺」を立ち上げるという事業構想を発表したそうだ。
確かに時代に対応しているように見えるし、新たな収益源にもなるかもしれない。しかし、お寺の本来の使命とは何であったのか。ますますお寺の存在意義が分からなくなる気がしてならない。
使命あってこその経営
しかし、多くの寺院関係者にとって、「いかに自寺を経営していくか」というのが喫緊の課題であることも確かだ。
「営利組織」のみならず、寺院や教会などの「非営利組織」にも経営は必要だ。経営学の巨人と称されるピーター・F・ドラッカーは、非営利組織もその「使命」を果たすために経営を必要とすると指摘している。
ただ、経営能力の前に問われるべきは、その使命の自覚だ。
仏教寺院にとっての「使命」とはなにか。それは、2500年前に釈尊が説いた教えによって人々の魂を救済することであろう。人々に人間の本質は肉体や脳ではなく魂であるということを教え、魂を救済することを目的としない寺院があるならば、そもそもの存在意義を失っているということだ。
浄土真宗の僧侶・蓮如など、僧侶が歴史に名を残すほどの偉業を成し遂げたのは、経営手腕やマーケティング能力の高さはもちろん、篤い信仰心と布教への情熱があったからに他ならない。
仏教界に問われる「信仰心」
宗教家は、死者の弔いをする以上「死」についての専門家でなくてはならない。仏教の僧侶が供養をする意味は、亡くなった人の魂をあの世へ送り、また遺族にも、人間の本質が魂であるということ伝えることにある。
僧侶があの世や霊魂の存在を信じていなければ、供養という行い自体が詐欺行為になりかねないが、そのような僧侶が増えているのが現状だ。寺院が求心力を失っている一因も、ここにあるだろう。
寺院消滅の危機がささやかれる現代。仏教界全体に「信仰心」が問われているのかもしれない。
(片岡眞有子)
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