津田梅子という名前を知っている人は多いでしょう。しかし、津田梅子とともに女子英学塾(現、津田塾大学)の理事を務めた大山捨松という女性については、あまり知られていません。

本欄では、日本人女性として初めてアメリカの大学を卒業し、慈善事業や女子教育の発展に尽力した捨松の人生を振り返ってみます。

日米両国が誇る才媛・捨松

1860年に会津藩家老の娘として生を受けた捨松は、9歳にして会津戦争を経験します。兄の浩が指揮を執る中、母や姉とともに籠城しました。捨松も幼いながらに、城内に打ち込まれた大砲の不発弾を集めるなどしたといいます。