2016年7月号記事
幸福実現党
愛知県本部 副代表
中根 ひろみ
プロフィール
(なかね・ひろみ) 1974年7月4日、大阪府高槻市生まれ。平安女学院大学短期大学部保育科を卒業後、保育士、主任保育士として各地の認可保育園に勤務。民間託児施設の立ち上げにも参画し、現在、認可保育園の園長を務める。
感じる政治学
ただじゃ泣かない。
世直し園長、国政への挑戦
「なぜ人は政治家を目指すのか」。
そこに、「政治とは何か」を考えるヒントがある。
子供たちと触れ合う中根氏。彼女の言う「子供たち」という言葉の奥には、数えきれないほどの園児たちとの思い出がある。
「子供を、どこにも預けたくないんです……」
豊田市の子育て支援センターに飛び込んできた女性が、ぼろぼろ泣きながら訴えた。
一番かわいい時期のわが子を置いて、なぜパートに出なくてはいけないのか。不況は、母親が子供を自分で育てることも許してくれないのか、と。
それをセンターに相談しても、どうにもならない。しかし、他に言うべき先もない、日本のお母さんたちの本音だった。
当時、センターの相談員をしていた保育士・中根ひろみは、その涙を今も忘れることができない。
「保育園の先生になる!」
保育園を卒園した時から、そう決めていた。
お母さんたちと一緒に、子供に尽くしたかった。しかし、一保育士にできることは、少ない。
卒園児たちを、いじめが止まららない小学校に送り出すのは、心配で仕方なかった。
北朝鮮のミサイルが"子供たち"の真上を飛んだ。それを「飛翔体」と呼ぶ政治家は、冷静なのではなく、厄介事から目を背けているように見えた。
国会中継を見れば、野次の飛ばし合い。それもパフォーマンス。子供に見せたくない。 「見て見ぬふりをしたら、一生後悔する……」
彼女は2009年、衆院選に立候補することを決める。
嫁いで来て1年足らずでの立候補。義母の涙を見て「立候補するなら、敷居をまたがないでほしい」と言う義父は辛そうだった(注)。
「ごめんなさい。でもいつか必ず親孝行をしますから」
申し訳なさで、自分も泣きながら頭を下げ、義父母宅を後にした。
「候補」と呼ばれ、自分のポスターが街中に貼られる。重圧は、予想以上だった。街頭演説をすれば、「素人だ」と言われた。
ある時開かれた、公開討論会でのこと。強いライトに照らされて現職議員らと議論する中、客席から野次が飛んだ。
「こんな夢みたいな政策を掲げやがって!」
その手には「GDP世界一」と書かれた政策集が握られていた。
それが、悪いことなのだろうか。経済成長すれば、支援センターで会ったような母親も減る。気付けば、机をバンと叩いて叫んでいた。
「今の政治家に、夢がないのがいけないんじゃないですか!」
会場はシーンと静まりかえる。しばらくして、パチパチと拍手が鳴った。子供たちへの愛は、信念に変わっていた。
(注)中根さんの義父母は今は強力な支援者となっている。
「ありがとう」の力
2013年の選挙前に激励に来た大川隆法・幸福実現党総裁と握手をする中根氏。人生で一番の感激だった。
その後、何度か選挙を戦う。
夏は炎天下の中、冬は吹雪の中、陸上部で鍛えた体がぼろぼろになるまで動く日々。家に帰り、洗濯をしたあたりで、いつも意識を失った。
それでも、勝てない。選挙が終わるたびに、「自分は本当に魅力がない」と涙した。
昔から、自分に自信がなかった。鏡を見るのも嫌な時期があった。「私じゃ無理……」。何度も頭によぎる。選挙事務所に行くのが、申し訳なくなる日もあった。
ある日、蒲郡駅前で、ずっとベンチに座って演説を聞いているご婦人がいた。話しかけると、「子供のこと言ってたから、ちょっと聞いてみようと思って。なんか胸がいっぱいになっちゃって……思いが伝わってきて……。本当に、応援しています」。
気づけば2人で泣いていた。
自分に賭けてくださる方々がいる。自分の自信のなさばかり考えて、それが見えなくなっていた。恩に報いるには、絶対にあきらめちゃ駄目だ―。
夜は支援者の名前を「ありがとうございます」と言いながら眠りにつく。戦う気力が湧き上がる、魔法の言葉だ。
この7年間で、5回もの選挙を戦い抜いた。その度に、賛同者は増えていった。
入園希望者が地域で最多の園長へ
街頭で挨拶をする中根氏。演説をしながら、「子供たちの未来のために……」と口にすると、いつも涙が出そうになる。涙をこらえて、政策を訴える。
2013年、以前働いていた大阪の保育園に遊びに行った。理事長に呼ばれ、こう切り出された。
「園長にならないか?」
新たな仏教系保育園の立ち上げの話だった。
次の選挙に向け、しばらく愛知を離れることには不安もある。しかし、もう一度原点に立ち、保育士としての自分を試したい。話を引き受け、がむしゃらに働いた。土日も、お盆も、年末年始も。
選挙で実感した、「ありがとう」の力を、子供たちに伝え続けた。
「『ばかやろう』という言葉をかけ続けたミカンはすぐに腐ります。でも、『ありがとう』と言い続けたミカンはいつまでも元気です。『ありがとう』の言葉には、人を元気にする不思議な力があります」
そんな話をすると、子供が家でミカンをむきながら「『ありがとう』ってすごい言葉なんだよ」と、得意げに話すという。
そんな話が、お母さんたちの口コミで広がった。「あなたが園長だから、子供を入れたのよ」。そんなお母さんも出てきた。
2年後、入園希望者は地域で最も多かった。それを知った夜、「ありがとうございます」とまた泣いた。
7年間、悔し涙と、感謝の涙の、どちらを多く流してきただろうか。そのどちらも、彼女を強くしてきた。
2016年参院選、中根ひろみは子供たちの未来を守るため、6度目の出馬をする。