科学哲学者・論理学者なる高橋昌一郎・國學院大学教授が、「週刊新潮」の連載コラム「反オカルト論」で、大川隆法・幸福の科学総裁の霊言を中傷する記事を数週間にわたって掲載した。

多くの信者を擁する宗教の本尊を冒涜することの罪深さ、神道系の大学に所属していながら信仰の意義についてまったく無理解であることについては、すでにリバティweb上で指摘した。今回からは不定期で、科学哲学の内容や問題点にも触れながら、高橋氏の学者としての資質を問うていきたい。

「科学哲学」ってどんなもの?

高橋氏は自身を科学哲学者だというが、そもそも「科学哲学」とはどんな学問なのか。現在のかたちでの科学哲学は19世紀頃から整理されてきたものだ。

そこでは、「科学的方法とはどうあるべきか」「科学的理論の特徴とは何か」など、科学の本質についての研究が行われてきた。また、「因果律とは何か」「時間とは何か」「生命とは何か」など、科学的な探究には欠かせないが、科学の内部ではなかなか解決しにくい哲学的な問題を考察することもある。

科学の世界でよく耳にする「反証主義」や「パラダイム」などの言葉も、科学哲学の議論から出てきた言葉だ。代表的な科学哲学者としては、カール・ポパー、トマス・クーン、マイケル・ポランニーなどがよく知られている。この分野がどれだけ社会に貢献できているかはともかく、専門的な議論が蓄積されていることは事実だ。

科学哲学などまったく出てこない、ただの印象操作

さて、高橋氏の「反オカルト論」(連載1―13)を一読してすぐに気づくのは、科学哲学の専門的な議論がほとんど使われていないことだ。高橋氏は記事中、イカサマが判明した(とされる)過去のいくつかの心霊現象を取り上げることによって、「やはり心霊現象などイカサマだ」という印象操作を行っているにすぎない。

例えば、20世紀前半に活動した女性霊媒師ミナ・クランドンがいかにイカサマを行ったか、週刊新潮らしく性的なスキャンダル話も交えながら面白おかしく長々と(連載で8回分!)紹介している。もちろん、こんなものは「心霊現象がないこと」の論理的証明にも科学的証明にもならないし、科学哲学上の学問的議論とも何ら関わりがない。

科学哲学者なら「科学的」な論証をすべき

実は高橋氏も、「いくら交霊会のトリックを暴いても『霊は存在しない』とは証明できない」と述べるなど、批判を避けるべく目立たないかたちで予防線を張っている。しかしながら、心霊現象はないと証明できないことを知りつつ、霊は存在しないという考え方を当然の前提として議論を展開するのはやはり不誠実だ。これは高橋氏に限らず、現代の科学哲学者によく見られる傾向でもある。

高橋氏は連載において「科学哲学者」という肩書を使っているが、記事に科学哲学の成果を用いていないなら、そのことを一言断ってから意見を言うべきだろう。そうでなければ、「科学哲学によると心霊現象はイカサマだ」「科学哲学によると幸福の科学は間違っている」という誤った印象を世間に広めることになる。

科学哲学者や論理学者を名乗りながら、他人の信仰を冒涜して多くの人々を傷つけるなら、自分の主張について「科学的」「論理的」な根拠を示す必要がある。学者なら、低俗なマスコミの手法を真似るのではなく、ぜひ、科学の知見や専門の論理学を駆使して、自分の主張の正しさを論証していただきたい。(只)

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