ピアニスト
東京音楽大学准教授

川上 昌裕

プロフィール

(かわかみ・まさひろ) 1965年、北海道生まれ。東京音楽大学(ピアノ演奏家コース)を首席で卒業。1988年、マリア・カナルス国際コンクール第4位入賞。92年、留学先のウィーン市立音楽院を首席で卒業。95年帰国。現在は、母校で後進の指導にあたりながら、ピアニストとして各方面で活躍中。これまでに、「メトネル:ソナタ・バラード」など6枚のCDをリリース。

俳優・山崎賢人さんの主演映画「羊と鋼の森」が、6月8日より全国で公開される。

これを記念して、同映画のエンディングテーマ曲「The Dream of the Lambs」のピアノを担当したピアニスト、辻井伸行さんが、13日に東京・サントリーホールでコンサートを開催する。コンサートには、テーマ曲を作曲した久石譲さんもゲスト出演し、辻井さんと初のステージ披露が実現する。

辻井さんは、「盲目のピアニスト」として知られ、美しい音色を奏で、多くの人々を魅了している。そんな辻井さんを12年間指導し、ショパン国際ピアノコンクール出場時も同行したピアニストの川上昌裕氏に、辻井さんへの教育方針について聞いた(2010年3月号記事再掲)。

初対面は荒削りで「天才」とは分からなかった

辻井君と出会ったのは、1995年の春です。

私は東京音楽大学を卒業後、7年間ウィーンに留学していたのですが、母校での後進の指導を頼まれ、帰国を決意しました。それと前後して、母校の教授から、「目が不自由だけど、素晴らしい演奏をする子がいる。その子も見てほしい」と言われたんです。それが辻井君でした。

辻井君は小学1年生になったばかりで、彼の自宅で初めて会ったとき、ドビュッシーの「アラベスク」やディズニーの「星に願いを」など2、3曲弾いてくれました。とても素直で明るく、「耳だけで音をとってこれだけ弾けるのはすごい」と感心したことを覚えています。

ただやはり子供なので、荒削りな部分はあったし、初めから「天才だ」とか「抜群の才能がある」ということは、その時点では正直言って分かりませんでした。印象的だったのは、彼がすごく楽しそうにピアノを弾いていたということです。

1曲を4時間かけて録音真剣勝負の日々

彼とのレッスンは週2回、小学5年生からは週3回、私と妻が交代で辻井君の自宅に通って教えていました。

彼は楽譜が読めないため、情報は耳から入れるしかありません。そこで視覚障害を持って活躍されている他のプロの音楽家などに会って話をうかがい、どうすれば辻井君に合った、効率のよい、正確な指導ができるかを考えたのです。試行錯誤して編み出した独自の指導法が次のようなものです。

メトロノームを鳴らしながら、右手のパート、左手のパート、両手のパート、それをセクションごとに細かく分けて演奏し、テープに録音します。それを辻井君に聞かせて、再現させるのです。30分の曲を正しく録音したテープを作成するのに3~4時間かかります。録音前の練習を含めると、それ以上の時間を費やすことになります。

また、実は一つの曲でも楽譜によって微妙に違いがあるんです。彼はとても耳がよく、私の演奏を正しいものとしてそのまま覚えてしまいます。ですから、私も演奏を録音する際には、複数の楽譜に目を通して、正確な音を、正確に演奏するために、私のクセを出さないように、一曲一曲真剣勝負で臨みました。辻井君の他にも30~40人の生徒を教えつつ、私自身の演奏家としての仕事もこなしながらのレッスンです。人にものを教えるというのは、まさに命がけですね。

挫折を恐れずに大舞台に挑み続けた

彼が12歳で、台湾で1千人規模の観客を前に演奏会をしたときのことです。

1時間ぐらいのリサイタルのプログラムを終えた後、アンコールの拍手を受けて、彼は台湾の民族的な旋律を織り交ぜた曲を演奏しました。

すると、拍手がいつまでも鳴り止まない。アンコールの曲を一つしか用意していなかったので、舞台の袖で、私と二人で「どうしようか」と困っていると、突然、「僕、行ってくる!」と言って、また全然違う曲を即興で弾き始めたんです。素晴らしい演奏でした。この時ですかね、私が「この子は本当にすごい子だ」と強く認識したのは。

指導する上で、彼にはあえて困難な挑戦をしてもらいましたし、彼もそれを望んでいました。

1999年、「ピティナ・ピアノコンペティション」では、一つ上のクラスにエントリーしながら金賞に輝きました。2005年、ポーランドのワルシャワで開かれた世界最高峰の「ショパン・コンクール」では、出場資格の最年少の17歳になったばかりで、健闘したのですが、残念ながらファイナルまでは残れませんでした。

でも挫折を恐れずに、こうした大舞台での演奏に挑み続けたことは、彼の能力を伸ばすことに大きな影響を与えたと思います。挑戦を重ねる中で、彼は考えられないほどのスピードで成長していったんです。まるで階段を2段も、3段も飛ばして駆け上がっていくような感じでした。

そうして積み上げた一つの成果が、09年6月、アメリカで行われた「バン・クライバーン国際ピアノコンクール」で世界一の称号を手にした、日本人初の快挙だったと思います。

指導者の側が「欲」をどれだけ抑えられるか

辻井君の音は、他の人の演奏に比べてとてもきれいなんですが、その理由は彼の耳のよさに加えて、より美しいもの、より"真実"に近い音を聴きたいという欲求の強さにあると思います。

彼と過ごした12年間という時間は、特別なものでした。

私が一生懸命つくってきたテープを、彼が一生懸命聴いて練習する。何かを教えると、彼はすぐにそれに応えようと努力する。レッスンは日々、充実していました。まるで、その時間だけ違う色のスポットライトに照らされているような特別な感覚です。

一方で、こんなに素晴らしい才能を持った子を、どう指導していこうかと悩んだこともあります。彼は本当に純真で、真っ白な性格ですが、指導者というのは、どうしても「自分色」に染めたくなるものです。手取り足取り指導して、自分の真似をさせるのが一番楽だし、目先の結果が得られて安心できるからです。

さらに、指導者として周囲から認められたい、という欲が顔をのぞかせる。そうした葛藤と闘いながら、どこまで教えて、どこまで教えずに我慢するか。その中で彼の個性をいかに伸ばしていくか。このさじ加減が非常に難しかった。

また、これは他の教え子を通じて感じたことですが、自分にとって苦手な個性を持った子供に出会ったとき、その個性が変わっていればいるほど、指導者はその芽を摘み取りたくなります。でも、思うんです。「私にとって、苦手な個性でも、他の多くの人にとっては大事な個性かもしれない」と。その個性を磨いて、最大限に能力を引き出してあげるのが指導者であり、教育者なのかなと。

その思いが辻井君にどれほどの影響を与えたかは分かりませんが、私はこれからも指導者として、一人の人間として、そうありたいと思っています。(談)

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