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9日開幕の平昌パラリンピックに向けて、このほど、聖火リレーがソウルで始まった。

選手たちの活躍に水を差すような政治的駆け引きはご免こうむりたい。

実際、平昌オリンピックをきっかけに韓国と北朝鮮が急接近した。核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に時間的猶予を与え、北に近づきたい文在寅・韓国大統領の政治ショーの場となってしまったのだ。

「平和の祭典」のはずのオリンピックが、世界の平和を乱す北朝鮮を助けることにつながったとは、なんとも皮肉だ。

オリンピックをきっかけに国運が変わる

オリンピック開催は、時としてその国の運命を大きく変える。

例えば1936年のベルリンオリンピック。ヒトラー率いるナチス政権の絶頂期とあって、国威を発揚すべく巨費を投じた大がかりな大会となった。しかし、振り返ってみれば、まさにこの時が絶頂。約10年後、第二次世界大戦に敗北してドイツは滅ぶ。

80年のモスクワオリンピックも象徴的だ。東西冷戦のただ中とあって、東側陣営の威信をかけた大会となった。しかし、西側諸国が集団で参加をボイコット。それでケチがついたのか、西側との国力の差は開く一方となり、約10年後にはソ連そのものが消滅している。

最近では、2004年のアテネオリンピックも注目されたが、期待されたギリシャ経済の立て直しはできず、逆に09年からギリシャ危機が始まり、EUを揺るがす大問題に発展した。

一方、1964年の東京オリンピックのように、戦後の焼け野原からの復活を世界にアピールし、その後の高度成長のきっかけとなった大会もある。

オリンピックが栄光と繁栄の始まりとなる条件

オリンピック開催が亡国や衰退の兆しとなるか、栄光と繁栄の始まりとなるか。その成否を分けるのは、次の要素だろう。

一つは"敵国"を想定したプロバガンダ色がないこと。ベルリンもモスクワも、政治的な覇権闘争を大会に持ち込んだ。本来、オリンピックは「戦争をやめて競技会を開け」という、平和に向けた神示を端緒として始まったことを忘れたのだろう。

もう一つは、自助努力の精神があること。他国からの観光客や投資をあてにして、自国の経済を立て直そうとする他力本願型ではうまくいかない。この場合、大会が終わるや一時のバブルが弾けることになる。

平和と自助の精神がなければ、決して神に愛されない。この歴史の教訓を肝に銘じたい。

(本記事は2013年11月号の記事を編集したものです)

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