《本記事のポイント》

  • 「トゥキディデスの罠」がアメリカの外交政策に浸透している。
  • 国際政治における正義の探究の欠如と揺らぐ西洋文明に対する確信
  • 日本は、ワシントンの底流に流れる国際政治観を直視し国防の強化を

2月10日東京で、ハーバード大学のグレアム・T・アリソン教授が講演した。アリソン教授は『Destined to War: Can America and China Escape Thucydides Trap?』(邦訳『米中戦争前夜』)を昨年の秋に発刊したばかり。本講演は、その発刊を記念して行われた。

アリソン教授は、1962年のキューバ危機の際にアメリカとソ連との間の意思決定の過程をまとめた『決定の本質──キューバ・ミサイル危機の分析』で知られる国際政治学者であり、今回の講演では、『米中戦争前夜』で触れられている「トゥキディデスの罠」について語った。

トゥキディデスとは、古代ギリシアで、ペロポネソス戦争を描いた『戦史』(『ペロポネソス戦争史』)を遺した有名な歴史家。覇権国家スパルタに挑戦した新興国アテネの「脅威」が、スパルタをペロポネソス戦争に踏み切らせたことにアリソン教授は着目した。そして、覇権を争う国家どうしは戦争を免れることが難しいとして、それをアリソン教授は「トゥキディデスの罠」と名付けた。

「アメリカと中国とはトゥキディデスの罠を免れることができるか」──それがアリソン教授の主たる関心事だ。

多少乱暴にまとめれば、この著書の中でアリソン教授は、「現在の覇権国家と次なる覇権国家を目指す国家との間には戦争が起きやすい。このため、国際秩序に平和をもたらす方法は、踏み込んで言ってしまえば、中国は東をアメリカは西を統治するというディール(取引)を結んでしまうことだ」と言う。

また、北朝鮮に関して、アリソン教授は質疑応答で、20~25パーセントの確率でアメリカは北朝鮮を攻撃する可能性があると指摘。アメリカが北朝鮮の限定的な空爆に踏み切れば、かなりの確率で北朝鮮が韓国の首都ソウルを攻撃し、中国も参戦し、日本も引きずり込まれると指摘。しかしそのような大規模な戦争は、後世、誰も欲していなかったと言われるだろうと述べた。

歴史を振り返れば、覇権国家と次の覇権を狙う国家との間の16のケースのうち、4つのケースのみ戦争を避けることができ、残りの12のケースでは、戦争に至ったという。つまり、本来なら避けることができた戦争を避けるためには、私たちは歴史から学ばなければならないと言うのである。

講演のなかでは、マティス米国防長官が議会の公聴会でアリソン教授が名づけた「トゥキディデスの罠」的な歴史観を語る場面を紹介するなど、アメリカのトランプ政権においても「トゥキディデスの罠」が浸透していることを示した。

実は、ニクソン時代から歴代大統領を国際政治面で指南してきたキッシンジャー氏もアリソン教授の著作の推薦者だ。アリソン教授の議論はある意味、キッシンジャー氏の勢力均衡による平和の実現、つまりG2議論の歴史版とも言えるからだろう。

だがアリソン教授の議論にはいくつか疑問がある。

国際政治における正義の探究の欠落

まず気になるのが、善悪の判断や正義の探究が疎かになっているのではないかという点だ。

「平和」が大事なのは言うまでもない。だが、「平和」の維持を第一義的な目的とすれば、たとえば北朝鮮に拉致された日本の拉致被害者や強制収容所で苦しむ20万の人々の尊厳、中国で弾圧されている人々、さらに自由を失いつつある香港や台湾の人々の苦しみに目をつぶるということになりかねない。

中国も、南シナ海・東シナ海で「力による現状変更」を行っている。

大川隆法・幸福の科学総裁は、「 侵略を許容する文明史を、未来として受け入れるのかどうかということが国際政治における大きな論点の一つでしょう」とし、「『南シナ海のほうでは、みな危機を感じ始めている』というのに、これを、日本の国際政治学者が客観的に分析できないのであれば、やはり、『国際政治学というのは、実際には学問としても成り立っていない』としか言いようがありません 」と述べている(『 国際政治学の現在 』)。

平和の維持を目的とするあまり、軍事的衝突を恐れ、軍事的オプションを排除する議論は、正義の探究を疎かにし、本当の意味での平和の実現にもつながらないのではないだろうか。

大川総裁は、昨年12月に行った法話「愛を広げる力」において、「 今が平和だから、何もしないでいいと思うなら、それは間違いです 」「 正義とは、これから来る未来に平和をもたらす活動をも含んでいるものなのです。邪悪なる体制によって、多くの人たちが、苦しんでいるなら、解放しなければならないのです 」と述べ、現状維持こそ平和であると考える勢力を批判している。むしろ、北朝鮮に対する軍事的オプションを放棄すれば、アメリカは覇権国家からの転落が始まるのである。

揺らぐ西洋文明に対する確信

また、アリソン教授のような中国に譲歩する議論の背景に、西洋文明に対する自信の揺らぎがあることにも注目したい。西洋的価値観が支配的であると考えるよりは、むしろそれを相対化し、アメリカの宣教師的役割から一歩退くことを勧めているようなところがある。

例えばアリソン教授は、フォーリン・アフェアーズ誌に掲載した「China vs. America」という論文で、西洋で「法の支配」という価値観ができたとき、中国はまだ世界史に登場していなかったという中国共産党政府の高官の議論を紹介し、西洋文明で自由を担保してきた法の支配という概念についても確信を持てない様子が伺える。

だが17世紀、アメリカに入植した人々は、マタイ福音書5章14節で描かれる世界から仰ぎ見られるような「丘の上の町」を創るのだという強い意志と情熱によってアメリカの建国の礎を築いた。世界の模範であることをやめたら、アメリカはアメリカでなくなるという国是がその「はじまり」において刻まれている。

これがアメリカの例外主義(エクセプショナリズム)と呼ばれるものであり、「人間の自由を実現する正義のための戦いは善である」という感覚がアメリカ国民に定着している。アメリカがこの例外主義に基づいて、帝国主義的支配を行ったのは確かだが、相対主義に陥って、アメリカニズムの根底にある正義の探究まで放棄するのは行き過ぎだろう。

政治コンサルタントのパトリック・カデル氏も、トゥキディデスの罠という考えは、「アメリカの例外主義の素晴らしさを理解しない考えだ」、「アメリカが衰退していくことは神の前で恥ずべきことで、世界が苦しむことになる」と批判をしている。

文明への挑戦は応戦によって乗り越えられる

中国はシリコンチップの製造、ロボットの製造、AI(人工知能)など、10の産業分野で2025年までに優位に立つことを目標に掲げている。だがアリソン教授は講演で、すでに中国は、船舶、鉄鋼、アルミニウム、株、携帯電話等の最大の生産国であることを強調した。

そしてIMFなどの予測を紹介し、2024年には、中国のGDPは約3500兆円、アメリカのGDPは2500兆円となり、中国のGDPはアメリカのGDPを大きく引き離すことになるだろうと指摘した。

だが、アメリカの衰退の路線は、トランプ大統領の減税法案の成立によって規定路線ではなくなった。一方で中国は、成長の波から取り残された9億の貧しい人々の底上げをしなければ、中進国の罠にはまり、経済成長は著しく低下する。だが底辺の底上げには成熟した民主主義が不可欠であるがゆえに、一党独裁を維持する限り、9億の人々の所得の向上は難しい。

IMF等の予測は、あくまでも予測であって、今からでも逆転は可能だ。しかもトランプ政権は、アメリカの貿易赤字の7343億ドル(約80兆円)の約半分を占める対中貿易赤字に不満を示し、太陽光パネルと洗濯機に追加関税を課すなどの措置をとり始めている。

「覇権国家が次なる覇権を目指す国家に挑戦されるから戦争が起きやすい」という議論は、既定路線でも物理法則でもない。全体主義的支配を広める中国の西洋文明に対する挑戦は、日米の繁栄によって応戦し、迎え撃つべき種類のものである。

アメリカの底流に流れる国際政治観を直視し、国防の強化を

アリソン教授の議論は、言ってみれば、中国がこれまで主張してきた「新型の大国関係」の容認であり、かつ、元国務長官でトランプ政権の外交アドバイザーでもある国際政治学者のキッシンジャー氏の「G2」議論と同類のものである。

注意しなければならないのは、アリソン教授が単なる学者ではなく、数十年にわたって国防総省のアドバイザーなどを努めた実務家でもあることだ。

トランプ政権は、昨年12月に発表した国家安全保障戦略(National Security Strategy)で、中国を「戦略的な競争相手」と位置付けたことから、キッシンジャー=アリソン的国際政治観から一歩抜け出した。

ゆえにアリソン教授の主張は、必ずしもトランプ政権の外交政策そのものであるとは言えない。だが日本人は、ワシントンに、アメリカと中国で世界を二分すれば世界は平和になるといった国際政治観が深く浸透している現実から目を逸らしてはならないだろう。

(長華子)

【関連書籍】

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