《本記事のポイント》

  • 仮想通貨は危ないが、汲むべきこともあるのではないか
  • 乱高下する今は、「過渡期」にすぎないのか?――その可能性と不安
  • 経済学者ハイエクが提唱した「民間銀行紙幣」

米フェイスブックは1月30日、ソーシャルネットワーク上での仮想通貨の広告を規制することを発表した。

仮想通貨「ビットコイン」の急落や、大手取引所「コインチェック」から580億円相当の仮想通貨「NEM」が流出した事件などが、大きく影響しているものと思われる。

本欄でも論じてきたように、仮想通貨への投資が、かなりハイリスクな状況であるのは確かだ。

仮想通貨から汲むべきこともある

とはいえ、仮想通貨から汲むべきものもある。

興味深いことに、仮想通貨を熱狂的に支持する層ほど、「投機商品として仮想通貨を購入すること」に懐疑的な傾向が見られる。

例えば、「『お金を稼ぐ』という段階で、その手段として仮想通貨に着目するのは、実は大きな間違いです」(『トップ1%の人だけが知っている「仮想通貨の真実」』)といった本まである。

筋金入りの信奉者は、「お金を増やす手段」としてよりも、「新しい経済秩序」として仮想通貨を支持する。それは、「国家が通貨の発行を一元管理するのではなく、参加者が皆で分散して、民主的に管理する。それも、国境を越えて使える」というビジョン。いわば、「既存の秩序へのアンチテーゼ」としての支持だ。

そんなコア層は、今のように値段が乱高下し、投機の対象になっている状況は「過渡期」だと認識する。

この「国家が通貨の発行を一元管理しなくていいのでは」という問題意識には、一理ある。国家の際限のない通貨発行によって、ハイパーインフレに苦しむ国もある。少し前の日本のように、中央銀行の過度の金融引き締めにより、不況が生まれることがある。

「暴落への対応」で真価は試される

しかし、この「過渡期」を過ぎたとしても、仮想通貨の「価値の安定」に対する不安はつきまとうだろう。

もし未来に、ビットコインがより普及し、各取引所のセキュリティもより万全になり、価値もある程度安定したとする。その時の課題は、「何らかのきっかけで価値が暴落した時、その歯止めになるものはあるのか」ということになる。

仮想通貨の支持者は「貨幣は、受け取ってもらえるから、受け取るのだ。その点、日本円もビットコインも変わらないではないか」と主張する。確かに普段はそうかもしれない。

しかし日本円の場合は、いざという時の"信用の安全装置"がある。「通貨として受けとることを強制する法律」や「日銀が通貨発行時に、担保として購入する国債」だ。

そうしたものがない状態で、信用の暴落を防ぐことができるか――。その時に、仮想通貨の「真価」は試されることになるだろう。

「民間銀行紙幣」の可能性

「国でなくても通貨を発行してもいいのではないか」という問題意識に対しては、別の解もある。

大川隆法・幸福の科学総裁は2009年、「銀行紙幣」の発行を提言したことがある。三菱東京UFJ銀行や、みずほ銀行、三井住友銀行といったメガバンクが、それぞれの紙幣を発行することで、実質的な金融緩和を行う、というものだ。

ノーベル賞を受賞した自由主義の経済学者F・A・ハイエクも、似た構想を提唱していた。ハイエクは、政府による貨幣への規制、すなわち金融政策自体が不況の原因であるとして、「政府から貨幣発行の独占権が奪い取られるべきである」と訴え、「貨幣発行自由化論」を提言した。中央銀行の廃止にまで踏み込んで言及している。

確かに、現代のような中央銀行制度はこの100年あまりで発展してきた新しい仕組みであり、「お金=中央銀行が刷るもの」というのは、一種の"思い込み"に過ぎない。

ハイエクのビジョンは、国家から通貨発行の独占権を奪い取りつつも、新しい通貨には「発行主体がいること」を前提としたものだ。

通貨発行を国家が独占するからこそ、国家は通貨の価値を維持する努力を怠る。だからこそ、自由競争の形で、民間銀行が信用維持にしのぎを削る――。通貨を発行する側の「責任」という発想は、外していないのだ。

仮想通貨支持者が、ハイエクを持ち出すことは多いが、そういう面で、大きな違いはある。

とはいえ、当時は「そんな馬鹿な」と言われたこうした案も、仮想通貨の登場によって、理解されやすくなったのは確かだろう。

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2018年1月29日付本欄 揺らぐ仮想通貨への信頼 「ゲームコイン」の危険性

https://the-liberty.com/article/14082/