相模原殺傷事件の犯人を起訴 「心神喪失なら罰せず」の宗教的間違い

相模原殺傷事件の犯人を起訴 「心神喪失なら罰せず」の宗教的間違い

 

《本記事のポイント》

  • 「心神喪失」なら罰せられない刑法
  • 「心神喪失」とは宗教的には「憑依」のこと
  • 「憑依」されるのも自己責任!?

 

横浜地検は、昨年7月に相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で起きた大量殺人事件で逮捕された、植松聖容疑者を起訴した。25日付各紙が報じた。

 

地検は、5ヶ月間に及ぶ鑑定留置の結果、植松容疑者を「自己愛性パーソナリティー障害」と診断。同障害は、判例上、「善悪の判断がつき、刑事上の『責任能力』を問える」ため、起訴をして裁判員裁判で罪を問う。

 

裁判でも引き続き、植松被告の「責任能力」が大きな争点となることが予想される。

 

 

「心神喪失者」なら罰せられない刑法

常軌を逸した残忍な事件が起きる度に話題に上る「責任能力」とは、そもそもどういうことか。

 

刑法39条によれば、多くの人々の命を奪っていても「心神喪失者」と診断された場合には、「責任能力」がないと判断され、罰することができない。または、それに近い状態である「心神耗弱者」と判断された場合も、刑が軽くなる。

 

こうした法律の背景には、「"無意識"のうちに犯した罪で罰せられても、本人は何を反省すればいいのか分からない」という考えがある。「責任能力」とは、「反省・更生する余地があるかどうか」ということでもある。

 

つまり、もしこれから行われる裁判で、地検の判断がひっくり返され、植松被告が「心神喪失者」「心神耗弱者」と判断された場合、刑罰は非常に軽くなってしまうということだ。

 

 

「心神喪失」とは「憑依」のこと

しかし、この「心神喪失なら罪は問えず、反省もできない」という考え方は、宗教的に見た時に疑問が残る。

 

確かに、「心神喪失」の状態で犯す罪は、自分の意識で犯しているとは言い切れない。植松被告も、事件を起こす以前から「神の声が聞こえた」、「ヒトラーの思想が降りた」と周りに話していた。こうした現象は、死後に成仏できない「悪霊」が、生きている人間にとり憑いて異常な言動をとらせる「憑依」という。植松被告の犯行も、何者かに煽られ、操られたものである可能性が高い。

 

 

「憑依」されるのも自己責任!?

しかし、だからと言って「本人に責任能力がなく、反省の余地が無いか」と言われれば、そうではない。

 

悪霊に憑依されるには、それだけの理由がある。それは、地上で生きている人間の心が、その悪霊の心と同通するということだ。例えば、普段から怒りの心を持っている人には、より強い怒りの心を持った霊が憑依し、暴力行為に及ばせることがある。また、自己嫌悪が強い人には、同じような心を持った霊が憑依し、自殺に至らせる。

 

つまり、憑依による犯罪でも、本人の責任は逃れられない。これは、泥酔して判断能力がない状態で交通事故を起こしたとしても、そうした状態になる前段階として、飲酒をして車に乗った責任を問われることに近い。

 

 

再犯防止のためにも「責任能力」の再考を

むしろ、「心神喪失」状態だったからといって、「責任が問えない」ことにすれば、更生につながらない。

 

実際、2001年に大阪府で小学校の児童・教師が大量に殺傷される事件が起きたが、その犯人は、以前にも小学校のお茶に毒を混ぜるなどの事件を起こし、精神鑑定で統合失調症と診断され「責任能力なし」とされた人物であった。

 

犯罪抑止・再犯防止の観点からも、「心神喪失状態なら、責任を問えず、反省のしようもない」という司法の常識は、再考の余地があるのではないか。(詩)

 

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タグ: 相模原殺傷事件  心神喪失  憑依  津久井やまゆり園  責任能力  刑法  反省  悪霊  

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