三菱グループ創業の父 岩崎弥太郎 - 巨富への道の歩み方
2013.10.19
2013年11月号記事
シリーズ 富、無限 第6回
一代で巨大企業グループを築き
巨万の富を得た岩崎弥太郎。
いったいどうやってその富を生みだしたのか──。
その成功の秘訣を探ると
「強欲な実業家」といった一般的なイメージとは
全く違う姿が浮かび上がってくる。
近代日本の発展に貢献した「魂」の真実に迫る。
(編集部 馬場光太郎)
三菱グループ創業の父 岩崎弥太郎
巨富への道の歩み方
日本最強の企業家
今や日本中で目にするスリーダイヤマーク。岩崎家の家紋「三階菱」と土佐山内家の家紋「三ツ柏」の組合せに由来する。「三菱」という社名はこのマークにちなんで付けられたもの。
各企業の総資産ランキング上位を独占する三菱グループ企業(2013年3月)
金融、商社、不動産、金属鉱業、海運──。このすべての業界でトップに君臨するのが三菱グループだ。三菱電機、三菱重工業、三菱ふそう、三菱自動車のほか、東京海上日動火災保険、明治安田生命保険、キリンホールディングスなども三菱グループであり、まさに日本最大の企業グループである。
この巨大コンツェルンを創業したのが岩崎弥太郎だ。弥太郎は1835年に土佐藩安芸に生まれた。32歳で土佐藩の貿易組織・土佐商会長崎出張所に赴任し、主任となる。明治維新後の廃藩置県に伴い、同会は弥太郎個人の海運業社となり、1873年に「三菱商会」と改名される。弥太郎は日本にとどまらずアジア・ロシアにまで汽船輸送航路を開設。当時の日本の汽船総トン数の73%を占め、「海運王」と呼ばれた。弥太郎が亡くなった1885年には、郵便汽船三菱会社の資産は国家財政の11分の1の規模となっている。さらに海運を軸に金融・保険・倉庫・造船など多角展開し、江戸時代から続く三井、住友を凌駕する。一代で日本最大の財閥を築いたのだ。
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