釈量子の志士奮迅 [第14回]
2013.05.25
2013年7月号記事
第14回
釈量子の志士奮迅
世の中は変えられる!
釈量子
(しゃく・りょうこ)1969年東京都生まれ。國学院大學文学部史学科卒、大手企業勤務を経て、(宗)幸福の科学に入局。本誌編集部、常務理事などを歴任。
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憲法の改正が、ようやく選挙の争点になりつつあります。その最大の目玉は9条です。憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と背景が明記されています。しかし「東京を火の海にする」と北朝鮮から威嚇され、尖閣諸島ばかりか「琉球は中国の領土」とまで言われるようになれば、さすがに憲法9条の非現実性に目を向けざるをえなくなります。
若い世代でも認識が高まっているようで、先日出会った女子大生は、ビン・ ラディンの隠れ家を急襲する米軍の特殊部隊を描いた映画「ゼロ・ダーク・サーティ」を観て、「アメリカなら横田めぐみさんをとっくに救い出している。自衛隊のレンジャー部隊には、その能力がないのか、それとも法律でできないのか」と尋ねてきました。以前、テレビ番組で、イラン・イラク戦争でテヘランに取り残された200人以上の邦人を救出したのは、自衛隊でも日航機でもなくトルコ航空だったという実話が紹介されました。フセイン大統領がイラン上空を飛ぶ航空機をすべて撃ち落とすという声明を出したため、社会党の反対で自衛隊機が、労組の反対で日航機が現地に行けなかったのです。国際連合憲章51条で認められている自衛権ですが、日本の自衛隊は自衛権を正当に行使できないのです。
政治家は奉仕者として命を投げ出す覚悟を
憲法9条について考えたり議論することで、日本はこれまでになく大きな覚悟を求められることになります。それは戦争の可能性を想定するということであり、すなわち立法者たる政治家の「本音」、言わば死生観や信仰観が問われる時代が来たということでもあると思うのです。
例えば「憲法改正反対」の一部マスコミは、亡国の思想を持っています。「中国や北朝鮮に侵略されても仕方がない」のが本音であり、マルクス思想の中国共産党と同調して、「日本人民」と呼ばれても違和感がないのではないか? 靖国参拝反対なら「慰霊」についてはどう考えているのか? 死よりも正義に反することを恐れて毒杯をあおったソクラテスをどう考えるのか?
これまで票集めで「宗教を利用する政治家」はいても、信仰を表明できる政治家はほとんどいませんでした。国会議員は、真っ先に全体の奉仕者として命を投げ出す覚悟を問われます。安心して生命、安全、財産を託せる人間は誰かを考えた時、仏神の心を心とする宗教政治家の存在が大きな救いに見える日が来ることでしょう。神仏への敬虔なる気持ちとすべての人間の魂への敬意、こうした厳粛な思想なくして、政治家を目指すことなどできないと、私は思います。
「自由・民主・信仰」のために活躍する世界の識者への取材や、YouTube番組「未来編集」の配信を通じ、「自由の創設」のための報道を行っていきたいと考えています。
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