高市首相は日本経済を救えるか? ─ Part 3 小さな政府は、「神仏の正義」にもかなう
2026.02.27
2026年4月号記事
高市首相は日本経済を救えるか?
"高市1強"の経済政策は、日本を豊かにすることができるのか。
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高市首相は日本経済を救えるか? ─ Part 3 小さな政府は、「神仏の正義」にもかなう
小さな政府は、「神仏の正義」にもかなう
自民が圧勝し、野党が相当弱体化(特に中道が大敗)したことで、"日本は保守色が強まった"という見方が広がっている。
だがそれは、永田町の勢力争いを基準にした視点であって、「保守本流の哲学」から見れば、本当にそうだとは言い切れない面がある。
自由と責任を重んじる「小さな政府」を言わない保守は保守でない
そもそも保守は何を指し、どんな世界を目指しているのか──。
大川総裁は、真の保守とは「ある意味で、『責任を感じる立場』です。家庭や社会、国家に対して責任を感じる立場が、保守の立場なのです」と述べ(*1)、その中で「『小さな政府を目指す』ということは、『国民の裁量に任せる自由の領域を増やす』ということです。それは、『国民に責任を持ってもらいたい』という意味なのです」と指摘しているのである(*2)。
この見方は、欧米の保守派(米共和党など)ではメジャーな考え方であり、彼らも「小さな政府の下での自由と責任」の重要性を強調する。
具体的に自由については、日本では一部、放任や放縦(わがまま)と誤解する節もあるが、アメリカの保守運動の研究者は、自由を意味するフリーダムは本来「自主独立」と訳すべきだと述べる(*3)。政府に依存しない独立した個人が、自己決定権を行使できる自由を、フリーダムと呼ぶべきであるからだ。
そして責任に関しては、大きな政府の象徴である旧ソ連経済を分析したハンガリーの経済学者コルナイ・ヤーノシュは、誰も責任を取らないシステムだったと指摘。無責任の拡大再生産によってソ連は国ごと消滅した。
つまり、「自由」と「責任」がセット(不即不離)である小さな政府を主張しない保守は、本来の保守とは位置付けられるべきではない。
その視点で見ると、同様の哲学を持つ政党が日本の国会に見当たらず、大川総裁は「今、日本において、自由政党も保守政党もなくなろうとしています」と警鐘を鳴らしてきたのだ(*1)。
(*1)『危機に立つ日本』
(*2)『新・日本国憲法試案』
(*3)リー・エドワーズ著『現代アメリカ保守主義運動小史』(明成社)
「小さな政府」は仏教的にも正しい体制
さらに「自己責任」の原則のもとに、切磋琢磨する中で人々の知恵を最大限引き出そうとする小さな政府は、政治的だけではなく、宗教的にも正しい。
大川総裁は、「人間というものは、その心のあり方でいろいろな判断をし、選択をし、その判断や選択に対して自己責任を負う存在である」(*4)と述べ、「未来というものは選択の積み重ねの結果」(*5)であるとしている。
つまり、仏教が説いた「よい種をまけば、よい実りがある。悪い種をまけば、悪い実りがある」(*6)という「因果の理法」に基づき、人間が積み重ねた自己選択の結果(責任)、死後、自分の心の状態に合った天国、または地獄に赴くという厳然たる真実が広がっている。
自由と責任を尊ぶ小さな政府は、そうした因果の理法に従って人間は生きているという「神仏の正義」(『不滅なるものへの挑戦』)にもかなっているという意味で、本来あるべき体制であるのだ。
(*4)『悟りに到る道』
(*5)『大悟の法』
(*6)『「復活の法」入門』(幸福の科学刊)
低迷する日本経済に対し、高市首相がやるべきこと
全体主義の傾向が出ないか要注意
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