バイデン政権は骨董品である関与政策を放棄すべき なぜ「関与政策」は戦略的な大失敗だったと言えるのか
2021.11.21
《本記事のポイント》
- 4人の罪深き大統領たちのお蔭で 中国は軍事大国化
- 「暴力」で国民を弾圧する中国に「関与政策」は成立するのか?
- 「富は平和を生む」は幻想だった
バイデン米大統領と習近平国家主席によるオンライン首脳会談の結果は、多くの読者の想定通りだったかもしれない。3時間半も続いたが、平行線をたどり具体的な成果文書もなく終わった。
のみならずバイデン氏は、世界全体で約500万人、アメリカでも約75万人の命を奪った新型コロナウィルスの起源の調査についても議題として持ち出さなかったため、米保守系メディアは怒り心頭。「こんなに弱い交渉は見たことがない」と声を荒げた。
バイデン政権が弱腰にならざるを得ないのは、環境問題などの分野で中国と協力関係を築きたいという思惑があるからだ。
だが「協力関係を築きたい」という思いが先行するあまり、中国を「競争相手」としか位置付けられないことにも、国民の不満は溜まりつつある。もう敵だと認識すべきではないかと訴えるテレビ番組のアンカー(総合司会者)の姿も見られた。
いつまで骨董品の「関与政策」を続けるのか
バイデン氏はなぜ民意と離れ始めた「協力」と「競争」を続けるのか。そのヒントは、米中首脳会談の直前に出されたジェイク・サリバン大統領補佐官の発言に表れている。
サリバン氏は「アメリカによる政策で中国に根本的な変革をもたらそうという過去の政権の姿勢は誤りだった」「台湾問題については現状維持が関係国などの利益にかなう」との姿勢を示し、暗にトランプ政権の対中強硬路線を批判した。
もちろんサリバン氏も中国の行動を懸念し、台湾による自衛を支援するとはしているが、曲者なのは「現状維持」とは「関与政策」に戻ることに他ならないということだ。
一定の分野について中国と協力関係を築こうとする関与政策の背景には、経済支援や国際秩序への取り込みを通じて発展を促せば、中国の政治体制が変化し将来の民主化につながるという期待がある。
4人の罪深き大統領たちのお蔭で中国は軍事大国化
だがそのような期待は正しかったと言えるのか。
リアリズムの国際政治学者のジョン・ミアシャイマーがフォーリン・アフェアーズ誌(11/12月号)で関与政策について批判しているので、その一部を紹介する。
関与政策は、「最悪の部類」に入る戦略的大失敗であった。
冷戦終結後、ソ連を抑止する必要がなくなった段階で、対中政策について一つの疑問が生じた。
当時の中国の一人当たりのGDPはアメリカの75分の1。リアリズムの観点から見れば、中国が富を軍事力に転換するのは自明だった。
それにもかかわらずアメリカは1980年代から中国に最恵国待遇の地位を与え、冷戦終結後も待遇の見直しを見送った。
2000年には最恵国待遇を毎年見直す形から恒久的に付与することにし、2001年にはWTO(世界貿易機関)への加盟まで承認した。
1990年時点では小さかった対中直接投資額は、次の30年で巨大な額に上った。
アメリカでは4代にわたり大統領が関与政策を採ってきた。
ジョージ・H. W. ブッシュ氏は89年の天安門事件後、中国に経済的に関与し続けることで、中国国内に自由を求める動きが生まれ、それが「民主化を不可避にする」と正当化。
選挙戦で「ブッシュ氏は中国を甘やかした」と批判したクリントン大統領も当選後の94年、中国との関与を強化し拡大すべきだと方針を転換。
ジョージ・W.ブッシュ氏も選挙中から「中国との貿易は自由を促進する」と演説した。
バラク・オバマ氏も似たり寄ったりで2015年、「中国の成長はアメリカの利益になる」と述べていた。
しかし中国はリベラルな民主主義を奉じる国にも、責任あるステークホルダー(利害関係者)にも変化せず、時代が下るにつれ関与政策の失敗は明らかになった。
「暴力」で国民を弾圧する中国に「関与政策」は成立するのか?
関与政策で中国を増長させた4代にわたる大統領は「罪深き者たち」と名付けることができそうだ。彼らの目が節穴になってしまった理由として、ここでは2つ挙げておきたい。
一つは「暴力」が持つ根本的な問題である。
関与すればいずれは「民主化する」という見立てが、非現実的で甘い見通しでしかなかったことが露呈したのが1989年の天安門事件である。
25万人の人民解放軍が民主化の要求を掲げ平和的に抗議する国民に刃を向けて、「徹底的に虐殺」したこの事件は、非民主的体制に特有の事件である。
民主的体制では通常、紛争解決に非暴力的な方法がとられる。一方、非民主的体制では平和的に異議を申し立てる方法がほとんど禁じられており、国家の側は秩序維持のために公然と「暴力」を使用することがある。
紛争解決のために「暴力」を自国民に使った天安門事件は、当時の中国が非民主的体制の極致にあり、政権側に民主化への歩み寄りの意志は微塵もなかったことを世界の人々の目にさらしたのである。
「富は平和を生む」は幻想でしかなかった
もう一つの問題は、「富は平和を生む」という関与政策の前提にある考えだ。
天安門事件当時学生で、現在アメリカで天安門大学を開学している封従徳氏は、弊誌の取材に応えこう述べていた(関連記事参照)。
「わたしたちの過ちは、民主化の要求をすれば、政府は改革を行うという夢を抱いていたことです。しかし、その夢は打ち砕かれました。天安門事件後も、西側諸国は経済を発展させることで中国は民主化するという甘い期待を抱きました。しかしこれはまったくの誤解でした」
経済学者の中には、ヨーゼフ・シュンペーターなど「富が平和を生む」とする自由主義者も存在するが、隠然とあるいは公然と、富んだ国が軍事行動をすることもあり得るという説も決してマイナーではない。軍事力で国民を弾圧できる国家においては、政治が経済に優先するからだ。
ここで確認すべきは、国民を弾圧したトウ小平の「先富論」の政治的意図である。中国において不動産業で成功を収めイギリスに亡命したデズモンド・シャム氏によると、トウ小平総書記が1978年に改革開放路線を打ち出し民営経済を認めたのは、「一時的な戦術」に過ぎなかったという。
この意図が現れているのが、トウ小平の霊言である(『アダム・スミス霊言による「新・国富論」』参照)。
「やつ(ヒットラー)は天才だった。だからわしはヒットラーの経済回復策をまねしたところはある。軍事力を強めるためには、経済力をつけなければ駄目であり、そのためには、豊かになれる者から豊かにならなければいけないんだ。(質問者)『中国の十三億すべての人を豊かにする』ということは……。いや、豊かにするつもりは全然ない。金が欲しいだけだ」
ちなみにこの霊言でトウ小平は、地獄の深い地下牢におり、自分が死んだ自覚もなかった。国を富ませ国民を豊かにするという動機よりも、覇権拡張のための偽りの“繁栄"を求めたのがその理由である。
結果、中国は極端な貧富の差で、大多数の国民は塗炭の苦しみを味わっている。底辺層の25%の財産は全体の1%前後に過ぎず、格差を示すジニ係数も危険水域の0.4を遥かに上回る。
人口の46%を占める農村住民の支出総額は全体の22%に過ぎない。西側の民主国家のように、努力すれば誰もが貧困層から中間層に抜け出ることもできない。中国は中産階級を増やすべく共同富裕を打ち出すが、政治体制がそれを阻んでいるからだ。
大川隆法・幸福の科学総裁は、上記霊言の収録後「唯物論者の金儲けは、宗教的には最悪の結果になるわけです」と述べている。「天国と地獄を分かつ智慧」(前掲書「あとがき」)を持ち、神に祝福された「繁栄」と言えるのかどうかを見抜かなければ、国際政治の判断は誤り得る。
「富めば平和になる」は幻想でしかなかった。そもそも無神論で唯物的国家の資本蓄積が無前提に善いはずがない。
1989年以降の西側は金儲け第一主義から目が曇り、正義をほったらかしにした判断を30年余りにわたって続けてきた。アメリカは、もう骨董品のような関与政策を捨てなければならない。
また天安門事件後、経済制裁を受けて国際的に孤立した中国に、いち早く手を差し伸べたのが日本である。
アメリカでは北京オリンピックは"ジェノサイド・オリンピック"だとして、選手団の派遣を止めるボイコットのうねりも起き始めている。日本の政治家はまだ判断を保留しているようだが、この歴史の潮目を読み違え天安門事件後の失敗を繰り返してはならない。
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